春節で賑わう台湾の市場と廟

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台湾人と結婚してから1年になり、もはや自分にとって春節は万難を排して参加しなければならない家族行事となった。今年は2月5日が初一(旧暦の正月)なので、3日間の休みを取って2月2日~6日まで台湾に滞在した。1年ぶりに訪れる台湾はとても懐かしく、旧友と会い、台湾料理に舌鼓を打ち、それは楽しいひと時を過ごした。台湾は気温もちょうど良く、寒い日本に戻って仕事を再開するのが正直憂鬱でたまらないというのはまた別の話だ。

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春節の色んな習俗については1年前に幅広く紹介したので、今回の記事では特に市場と廟を詳しく紹介しようと思う。

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関釜フェリーで行く釜山街歩き食べ歩きの旅

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韓国にはなぜかこれまであまり足が向かなかった。韓国ドラマもK-POPも特別好きなわけではないし、世界遺産のお寺や古墳も日本にあるものと比べて特段目を見張るものを感じなかった。山も日本と比べて高い山があるわけでもないし、植物相も日本と比べて多様性に欠く気がしていた。食は確かにとても魅力的なのだが、ハングルは読めないし何だか敷居が高かった。

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3年半前、北京から帰国時にトランジットで寄ったソウルにて。

けれども、北京に留学していた時にたくさん韓国人の友達ができたこともあって、メディアで何だかんだ言われようと隣国なのだから、現在の等身大の韓国を知ってみたいという気持ちはいつも持っていた。

そんな時、偶然アマゾンプライムビデオで目にした「未生」という韓国の総合商社マンの会社員生活を扱ったドラマを見てから妙に韓国に親しみが沸き、同時期に関釜フェリー青春18きっぷ所持者向けの半額キャンペーンで2等船室片道4500円を打ち出していたのでこれを機会と背中を押されて韓国へ渡航することに決めた。

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2017年にインバウンドが好調/不調だった県はどこなのか

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2017年、訪日外国人の数は前年比19%増の2869万人を記録した。一時期と比べると伸び率は鈍化しているものの、来年に予定されているラグビーW杯や再来年に予定される東京オリンピックなど上向き材料があり、今後とも堅実な伸びが予想されている。

一方でその恩恵が全国津々浦々に波及しているのかといえば、勢いには大きな地域差がある。そこで今回の記事では観光庁『宿泊旅行統計調査』のデータを利用して、2016年と比較した2017年の各都道府県宿泊者数増減率を地図上に表し、プロモーションの取り組みが好調/不調であった都道府県を可視化し、分析を行った。

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錦秋の越後駒ヶ岳

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魚沼盆地の東側に連なる越後駒ヶ岳、中ノ岳、八海山は、総称して「越後三山*1」と呼ばれている。近隣の谷川岳尾瀬と比較して訪れる登山者は少ないが、鋸歯形の岩場から成り信仰の山として長い歴史を持つ八海山、深田久弥日本百名山にもリスト入りしている越後駒ヶ岳、そして三山最高峰の中ノ岳とそれぞれ個性を持った山峰であり、この三山を馬蹄形に縦走する登山ルートは知る人ぞ知る名ルートになっている。

今回はその三山のうち、越後駒ヶ岳、中ノ岳の二山と、荒沢岳を結ぶ通称「裏越後三山」の縦走を計画した。

予報時から危惧していた台風は1日目夜に通過し、無事小屋でやり過ごすことができたが、日本海側の山の特性で台風通過後の北西風の影響を受け2日目は天気がなかなか回復しなかった。結果的に駒の小屋2泊ののんびり山行になったが、台風で登山客が全くいない小屋を独占しながら珈琲片手にのんびりと本を読むことができ、それはそれでとても楽しい思い出になった。

*1:もともと「越後三山」は「魚沼三山」と呼ばれており、越後駒ヶ岳深田久弥日本百名山では「魚沼駒ヶ岳」として紹介されているのであるが、どこかのタイミングで全国的に名の通りが良い「越後」を冠した名前が使われるようになり、それが流布していったのであると思われる。

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現代台湾人の歴史観と、「日本史」に感じる違和感について

「台湾において新しい歴史教育要綱が制定される」という中央社の報道を見たので、所感を備忘録として残しておくことにする。

以前、台湾の歴史に関する解説書を読んだことがある。そのなかでとても面白いと思ったのは、巻頭に「「台湾の歴史」とは一体「誰の歴史」なのか?」という問いかけがあったことだった。極めて単純に考えると「台湾の歴史」とは台湾における台湾人の歴史なのだが、その「台湾人」「台湾」が指し示す内実が非常に複雑なのだ。

増補版 図説 台湾の歴史

増補版 図説 台湾の歴史

 

現代の「台湾人」  について

現在の台湾には、人口の大多数を占める漢民族のほかに、山岳地域に多く分布する先住民や、「新住民」と呼ばれる東南アジア系住民(多くが台湾に嫁いできた女性)が居住している。更に言うと、漢民族の中でも独自の習慣や言語を持っている客家や、国共内戦後に大陸から台湾にやってきたいわゆる外省人など多くの細かい集団に分けることができる。また「先住民」の内実も多様で、現時点で北から南まで16の民族が認定されている。漢民族がやってくる前に台湾に住んでいたということで「先住民」と一括りにされるだけで、もともとは言語も習慣も異にする人たちの集合だ。

このように台湾の人口構成は複雑なので同じ出来事を述べる際、一つの視点のみから叙述することには危険が伴う。極端な例として、鄭成功漢民族にとってはオランダを台湾から追い払った英雄であるが、先住民から見るとただの侵略者の一人でしかないかもしれない。また、第二次大戦の終結を「抗日戦争における勝利」として迎えた人もいれば、日本国民として教育を受けた台湾人のなかには「大東亜戦争における敗戦」として迎えた人もいるだろう。台湾人の共通の物語としての台湾史を構築することはこのように難しく、緻密な仕事が要求される。

歴史上の「台湾人」について

歴史を更に遡ると、話はまた一段とややこしくなる。400年前、現在人口の大多数を占める漢民族は台湾にまだほとんど居住しておらず、オランダ人や先住民が居住するのみだった。つまりこの時期の「台湾人」は現代の「台湾人」とは大きく異なっていた。また70年前の日本統治時代、台湾には日本人が約50万人生活していた。日本統治期初期に本土から移住した人達はともかく、台湾生まれ台湾育ちの2代目・3代目の人達は、ある意味では「台湾人」の一員でもあった。戦後、彼らは既に自分達とは縁もゆかりもなくなっていた日本本土へ「引き揚げ」ることになったが、その代わりに今度は大陸から配送した国民党の人々が台湾にざっと200万人ほど流れこみ「台湾人」の構成はまた大きく変わった。

このように台湾の人口構成は時代と共に大変動を遂げており、その歴史は、背景を異にする多様な人たちが作り上げる複雑なパッチワークのようなものとも言える。

「台湾」の空間範囲について 

台湾の歴史を考察するにあたって、「台湾人」について見ていくだけでも結構ややこしいのだが、「台湾」の指し示す空間範囲についてもまた決して単純ではない。

よく台湾の歴史を把握する際に、オランダ統治時代、清朝時代、日本統治時代、国民党統治時代・・・という時代分類がなされる。しかしこの分類は間違いではないにしろ、誤解を与えかねない。なぜならオランダ、清朝、日本、国民党の統治範囲が全く異なるからである。オランダ人が統治を行ったのは台南など台湾島の南部を中心とした限られた地域だった。また、後に清朝が「台湾」を統治下においた際も、その統治範囲は西部平原地帯にすぎず、中央山脈以東に及ぶことはなかった。当時中央山脈以東で生活を営む先住民族の多くは清朝によって「生蕃」と呼ばれ、彼らが居住する山岳地帯は清朝によって「化外の地」とされていた。

全島が単一の政府によって掌握されるようになるのは日本統治時代になってからで、それも下関条約が締結されてから20年、30年を経てようやく途切れなく統治ネットワークが張り巡らされるようになった。また、これで終わりではなく、戦後「台湾」の指し示す範囲は、中華民国による実効支配が及ぶ範囲という意味では金門島南沙諸島なども含むようになっている。つまり、台湾の歴史を単純に時代のみで分類すると抜けが生じてくるのであり、台湾の歴史を把握する際には、時間軸だけではなく空間軸も入れて議論する必要があるのだ。

「一国史」を構成することの困難と、日本人による「日本史」の特殊性

現代国民国家が最も重要視する仕事の一つは、国の歴史を体系だったものとして整備し、国民の共通の記憶としてそれを教育することである。その際、現在の統治範囲を前提としてそこから遡るようにして一国史を作りあげていく手法が採られる。台湾においても「本土意識」「台湾人意識」の高まりから、従来の中国史を中心とした歴史教育ではなく、現在の台湾という地理的単位を基礎にして「台湾史」を学ぶべきだという意見が社会の主流になりつつある。しかし、先ほど述べたように、「台湾」「台湾人」の指し示す範囲が歴史的に大変動を遂げているなか、その歴史を漏れなく記載することに相当な困難が伴ってくる。現代の台湾人はそのような仕事に誠実に取り組んでいる。

良く考えてみると、「一国史」を構成することの難しさは台湾のみの問題ではなく、世界の多くの国が直面している問題である。不思議なことに、日本人が「日本史」を学ぶ時、正しいかどうかは別にしてそれは日本人による日本の歴史であるという暗黙の前提によって授業は進められる。突き詰めていくと、「日本人」「日本」が指し示す範囲は時代によって大きく異なるはずなのだが、あまりそこには注目されない。しかしそのような歴史教育は、世界を見渡すと決してスタンダードではないことも認識しておいた方が良いだろう。