休学中の記録

オホーツク夏の旅2019

旭岳~トムラウシを縦走し、雌阿寒岳を登り、下山した後に道東をのんびり旅行した記録。

まずはヒッチハイクで送ってもらった足寄から陸別を経由して北見までバスの旅。旧国鉄池北線、ふるさと銀河線廃線になったあとを走るバスで、足寄陸別間が十勝バス、陸別北見間が北見交通のバスだ。

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北見駅売店はお土産が充実していた。斜里岳山麓の町・清里醸造されているじゃがいも焼酎清里」も豊富に取り揃えている。

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北見から網走に着いて、洋食の名店「ホワイトハウス」でステーキとウニいくら丼。これまでフリーズドライ食品やパスタやインスタントラーメンを食べてきたので久しぶりの贅沢...と言ってもこれだけ食べても1350円という衝撃のコストパフォーマンスなのだ。そして味にも一切の妥協がない。

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次に食べたのは網走駅の駅弁「かにめし」だ。駅弁は往々にして食品添加物がこれでもかというほど入っていることが多いので滅多に食べないのだが、このかにめしはパッケージを見る限り余計な添加物は一切入っておらず、蟹と干ししいたけの味がしみ込んだご飯の上にたっぷりと蟹肉と錦糸卵が載っているものでとても上品な味わいだった。

網走からは釧網本線に乗って知床斜里まで。最果てを思い描いていたが、高校生がたくさん乗っていて賑やかな車内。オホーツク海に沿って走る列車で通学する毎日を思う。冬から春にかけて、車窓には一面の流氷が広がるのだろう。斜里に着き、駅前の数軒のホテルを探したが、どれもクオリティの割に値段が高かったり喫煙室しか空いていなかったりと残念な感じだったので、バスターミナル前に銀マットを敷いて寝た。

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翌朝起きて、駅前のSeicomartでラーメンと珈琲と北海道新聞を買って朝食にする。貧相な朝食だが目の前には斜里岳、外はウィンドブレーカーを羽織ってちょうど良いくらいの涼しい気温。悪くない。

バスターミナルには「Shiretoko Sustainable」という雑誌が置かれていて、知床に生きる様々な人々と風景が、写真と簡潔な文章で収められている。大胆な構図の写真が訴えかけてくる知床の魅力。ここで1年を過ごしてみるとどんな生活になるだろうか。

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北海道新聞(道新)を読みながらまた列車に揺られて小清水原生花園まで向かう。エゾカンゾウなどの花の最盛期は過ぎていたが、ハマナスの花がたくさん咲いていた。

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原生花園駅からは、沼をはさんで藻琴山が見える。藻琴山はこの辺りでは気軽に登れる山で、一方には屈斜路湖の大展望、そしてもう一方にはオホーツク海の大展望を得ることができるのだという。良く晴れた初春の日などに氷結した屈斜路湖と一面のオホーツク海流氷原の一面真っ白な景色を眺めに登ってみたいものだ。

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小清水原生花園からレンタサイクルで自転車を走らせて海を臨む北浜駅までやってきた。

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プラットフォームに設けられた展望台からオホーツク海を眺める。知床半島の山々がうっすらと見える。

この後網走の北方民族博物館に行った。「クマ送り」の儀式、魚皮で作った衣服、呼吸穴を利用したアザラシ猟の様子、寒さを防ぐ竪穴住居など、これまで自分が触れてこなかった北方の暮らしは全てが新鮮で興味深かった。文化体験活動を中心にさまざまな催しもやっているようなので網走に住んでいたら頻繁に通うだろうと思う。

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斜里に戻って、いかにも北海道らしい通りの名前とハマナスの花。網走まで行ったので網走か北見で泊っても良かったのだが、何故か斜里に戻ってきてしまった。斜里岳、海別岳、そして遥か羅臼岳を望むこの町に何となく惹かれたからだと思う。

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夕方、斜里川にかかる橋からは主峰・羅臼岳をはじめとする知床連山が全て見渡せた。

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夜、偶然現地のお祭り「しれとこ斜里ねぷた」に遭遇した。まさか知床でねぷた祭りが見られるとは思っていなかったが、歴史を紐解くと、斜里と青森津軽とのつながりは、江戸時代にロシアの南下に備えた北方警備のために、津軽藩士が斜里へ派遣されたことに始まるという。しかし、その後知床の厳しい気候の中で、多数の津軽藩士が寒さと飢えの中で殉死してしまう。青森県弘前市斜里町は、これら津軽藩士の慰霊を通じた交流の中で1983年に友好都市となり、ねぷたが斜里に伝えられた。列車の中で読んでいた北海道新聞によると、第37回目となる今年は、町内でテレワークを実施中のとある大企業の家族や社員も参加したのだという。斜里でテレワークとは羨ましい限り。子供達の「ヤーヤド」の掛け声を聞きながら町内の居酒屋に入る。

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オオアマドコロの辛子マヨネーズ和え。食感が良くて「山のアスパラガス」と居酒屋のお母さん。「近くの防風林の林内で初春に採ってくる」という彼女は山菜の達人で、提供している山菜は全て自分で採ってくるのだという。次に食べた蕗の甘露煮もおいしい。蕗が採れるところは熊の棲息地と重なる。至近距離で熊に出会った時の話を聞きながら蕗を食べる。

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新じゃかの煮物もおいしかった。これでビールを一杯やる。

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〆にいくらご飯。増毛にある日本最北の酒蔵「国稀」を飲みながら。鮭とばは噛みしめるほど味が出る。適度な塩気があるので酒によく合う。

今日の客は自分一人だけ。居酒屋のお母さんと話すだけ話して、そうこうしているうちに雨が降ってきたので何と宿まで車で送ってもらった。今日の宿は湯元館。山小屋風の建物に最高の温泉。

f:id:toyojapan1:20190728224625j:plain最終日はひたすら移動。まずは知床斜里から釧網本線石北本線に乗って旭川まで。旭川旭川醤油ラーメンを食べ、クラシックな喫茶店で本を読んで時間をつぶして、新千歳空港に早めについてから滞在は新千歳温泉。

新千歳温泉は3000円で漫画読み放題、仮眠スペースあり、温泉入り放題、朝食付き、アメニティ完備。ゆっくり風呂に入ってから、深夜まで「BLEACH」を読む。中学生以来読んでいなかったのでそういえばこんなキャラいたな、という10年ぶりの記憶のアップデート。

翌朝、帰りたくない思いを引きずりながら、灼熱の東京に帰った。

旭岳~トムラウシ山縦走:「神々の遊ぶ庭」の動植物

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北海道の山の魅力は広大な高山帯にある。そしてその高山帯に分布する植物は遠く千島列島・サハリン・カムチャッカやアラスカまで分布域を持っていることが多い。北海道の山を歩くと、植物の分布を通じてまだ見ぬ遥か北方の地に思いを馳せると共に、植物が地球の歴史の中で経てきた長い旅に思いを巡らせることができる。*1

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また、日本列島の北端に位置する北海道は、北極圏から広く分布する北方民族*2の分布の最南端にあたり、 長くアイヌ民族が主役として生活を営んできた島でもある。北海道の山にはアイヌ語の響きの良い山名が多いので、何となく神秘的な領域に足を踏み入れるような気がして、それもまた普段の国内の山行と違った感覚を与えてくれる。今回初めて北海道の山を歩いてみて、また新しい世界の入り口に足を踏み入れたような、そんな素敵な感覚を持つことができた。いつか知床、利尻、そしてその先にあるサハリン・シベリアや千島・カムチャッカの山々に足を運び、そこに生きる動植物や人々と出会う日が作れれば良いなと思う。

それではこれから今回の行程を紹介していこうと思う。また、最後に備忘録として今回出会った高山植物や動物の一覧を整理しておく。

*1:水深が比較的浅いベーリング海峡間宮海峡宗谷海峡は、氷河期には消失して陸地化し、アラスカ-ユーラシア大陸-樺太-北海道-千島列島は陸続きになっていたという。一方で諸説あるものの、比較的水深が深い津軽海峡は氷河期においても陸化することがなかった、或いは陸地化していたとしても短い期間だったと考えられている。そのため、北海道の動植物相は本州と比べて北方起源のものが多く、本州と異なっている点も多い。

*2:北半球のおもに寒帯、亜寒帯気候の地域に暮らす民族の総称で、トナカイ放牧や海獣狩猟、サケ漁などそれぞれの地域の特徴を生かしながら生活を行ってきた。代表的な民族としてグリーンランドイヌイットやスカンディナビアのサーミなどが挙げられる(参考:北海道立北方民族博物館 総合案内)。なお、その中で日本人に関わりのある民族としてはアイヌの他に、サハリンのニブフ、ウィルタなどは大日本帝国の統治支配を受けている。

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初春の中国山地ドライブ旅(姫路~若桜~用瀬~倉吉~湯原温泉~備中勝山~吹屋~姫路)

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中国地方はこれまで色んな場所を旅行してきた。高校時代に既にJR芸備線因美線津山線伯備線福塩線呉線山陽本線山陰本線といったローカル線は乗りつぶしていたし、色んな駅で途中下車をして観光をしてきた。

当時はお金も無かったし、駅で寝泊まりしたことも何度かあった。高校2年の時、お年玉で寝袋を買って意気揚々と3月の「備後矢野駅」に降り立ったが、その日は底冷えが寒くて寒くて一睡もできなかったのは良く覚えている。

当時から無鉄砲な思い付きによる行動力には優れていて、それが時にはやせ我慢と引き換えに自己満足を手に入れるだけのものであっても、自分にとってとても貴重な時間だった。

その頃好きだった旅の本は、山と渓谷社の「ゆったり鉄道の旅」「小さな町小さな旅」というシリーズで、青春18きっぷでローカル線に乗って、途中下車をしながら小さな町を巡るのが長らくの僕の旅のスタイルだった。

ところが中国地方のローカル線は本数があまりにも少なく、1日3~4本しかないようなローカル区間で途中下車などしてしまった日にはそれだけで1日が終わってしまう。山陽本線山陰本線など比較的本数の多いところは途中下車をしながら旅ができたが、内陸部は必然的に途中下車は省略した純粋な「乗り鉄」を目的とした旅にならざるを得ず、このため訪問できなかった町がたくさん残っていた。

そこで2017年の3月末、1人で思い立ったようにこれらの町を結ぶドライブに出かけた。4月から東京で仕事を始めることになっていたので、その前に西日本を回っておきたかったというのもあった。また、社会人になるにあたって、これまで自分に馴染んだ旅のスタイルは一旦捨てて、新しい旅のスタイルを試してみようと思ったのだった。

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山寺の散策と鳴子温泉こけしの旅

蔵王の旅の続き。山形盆地を北上して山寺、鳴子温泉へと向かう。

5月19日

蔵王温泉を出発して山形盆地へと降りていく。蔵王の標高は900mほどあって、八重桜が綺麗に咲いていたので東京と比べて1ヶ月程度季節が遅れているイメージだろう。山形の盆地まで降りてくると季節が進んだような感覚がある。

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1時間弱で山寺の山麓に着いた。玉こんにゃくを食べながら階段の山道を登る。五大堂から見る景色は開放感があってとても良い。新緑がまぶしい山々と、その間を走るJR仙山線。しかし山麓の町はあまりにも駐車場が目立つのが少し残念だろうか。

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山麓売店さくらんぼソフトを食べてから、山寺を出発した。

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途中、東根の「そば処 東亭」にて肉蕎麦の昼食にする。冷たいそばと温かいそばを選べるが、ちょうど気温も高く、28度くらいまで上がっていたので冷たい方にした。出汁はとても美味しかったが、個人的にはかけそばならやっぱり温かい方が好きかもしれない。

山形は雪国のイメージがあるが夏はフェーン現象で暑くなるらしく、1933年に記録した40.8度の最高気温記録は2007年に熊谷市に抜かれるまで長らく日本一だった。そんなこともあってか、麺類を冷たいスープで食べる文化があって、そういえば5年前に朝日・飯豊の山々を歩いた時に立ち寄った山形市で冷やしラーメンを食べたこともあった。

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学生時代に山形市で食べた冷やしラーメン。懐かしい記憶が蘇る。

尾花沢まで北上してから県道27号線に入る。少し残雪の残る山々を背景に一面の田んぼが広がる。東北の穏やかで優しい景色に癒される。JR陸羽東線に合流してからは国道47号線最上川の支流の小国川に沿って進んでいくが、いつの間にか宮城県側に出ており、驚くほど簡単に中央分水嶺を越えた。

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鳴子峡で小休止してから、温泉街へと車を走らす。

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立ち寄ったのは「こけしの菅原屋」。絵付け体験だけではなく、ろくろを回してカンナで木材を削り、こけしを成形するところから体験できる素晴らしいお店だ。一人1080円。

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まずは頭を形づくり、首、腰のくびれの順番で成形していく。カンナの位置を固定するのが難しく、つい持っていかれそうになる。肩に力が入ってあらぬ箇所を削ってしまったりすることもあるが、そこは菅原屋のおっちゃんが適宜手をいれてくれる。

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もともとはただの木の切れ端でしかなかったのに、こうして削ってみると本当に魂が宿っているような気がしてくる。

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黒・赤・緑の絵の具で絵付けをする。自分の場合塗り絵をするようにまず枠を決めて塗りつぶすように色をつけてしまうので、必然的に色の濃淡が表現できずに赤も緑も全て黒ずんだ色に出来上がってしまう。軽やかな筆使いで繊細な色の違いが表現できるようになればきっとプロなのだろうが、それでも上出来だろう。

最後に蝋を当てて塗り込んでもらい、つやが出ると完成である。ニスなどでは時間と共に剥げてしまうが、蝋だとその心配はないのだという。オリジナルなこけしができると感動もひとしおである。とても楽しい体験になった。

夜は大江戸温泉に泊まる。ワンストップで食事(バイキングでお酒も飲み放題!)も温泉も(源泉があって泉質の異なる温泉に浸かることができる)娯楽も(漫画ルームまである)揃うことを考えるとやっぱりその魅力も否定できない。自分ひとりなら渋い旅館に泊まって温泉街をそぞろ歩きたかったのだが、またそれとは別種の楽しみ方も時にはあって良いだろう。夕食後そのまま就寝しても良かったが、折角なので共同浴場「滝の湯」に浸かって、中で見知らぬおっちゃんと温泉談義をして、付近のこけし屋を覗き、しそ巻きをお土産に買って、火照った体を散歩で冷ましながらホテルに戻った。

「滝の湯」はThe 東北の湯治場といった雰囲気でとても良かった。

5月20日

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朝食も豪華なバイキング。お腹いっぱい食べてから帰途につく。鳴子温泉駅からは陸羽東線に乗って古川まで。

何気なく車窓を見ていると屋敷林を備えた立派な民家と一面に広がる水田、そして勢いよく清涼な水が流れる用水路の景色が印象的だった。後で調べてみるとこの地域は「大崎耕土」の名で世界農業遺産に認定されているのだという。

古川駅で乗り換え。時間があったので駅周辺を少しぶらぶらしてみる。「東日本の新幹線駅あるある」ではあるが、立派な新幹線駅でありながら駅前は本当に何もなくて寂しいところである。一軒だけ山の古書が沢山飾られた「Cafe Monte」という素敵な喫茶店があったのでまた機会があれば。

そして新幹線に乗って帰京した。そのまま午後から出勤.....