日本人から見た台湾(日本人眼裏的臺灣)

  • はじめに

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台湾の話になると、多くの中国人は「台湾は昔から中国固有の領土であって、台湾解放は中国の核心利益である」と言うだろう。けれども、今日僕が話したいのは中国と台湾の関係についてではなく、日本統治時代の台湾についてである。僕の祖母は18歳まで台湾で生活していた。以前はこのことにあまり興味が無かったのだが、台湾の山に登りに行くことに決めてからやっぱり自分の先祖と台湾の関係についてしっかり理解しておく必要があるように感じた。そこで、数日かけて親戚が残した記録を読み、更に90歳になる祖母宅へ行き当時の話を聞くことにしたのである。

關於臺灣,中國人常說,臺灣自古以來是中國不可分割的一部分。解放臺灣這個問題涉及到中國的核心利益。但我今天想講的不是這個話題,而是被日本統治的時候的臺灣。我姥姥18嵗之前一直生活在臺灣。我以前不怎麼感興趣,但決定去臺灣爬山之後突然想到,應該對自己家和臺灣的關係有更多的瞭解。所以這幾天翻看了我親戚留下的記錄,還去了姥姥家聽當時的故事。

  • 教育制度について

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1895年の下関条約から1945年の敗戦に至るまでの50年間、台湾は日本の統治下にあった。日本は台湾の近代化を促進するにあたって教育を重視し、各地に学校を建設した。初等教育機関は小学校と公学校の二種類あり、うち小学校は日本人の学生が大半で、台湾人は弁護士、医者など社会的地位の高い家庭の子息のみが通うことができたらしい。公学校は台湾人の教育水準の向上を目的とする学校であり、学生は台湾人がほとんどであった。日本が統治をはじめたばかりの頃は、東部山地の少数民族は原始的な風俗を色濃く残しており、特に恐ろしいのは敵対部落や異種族の首狩りを行う習慣があったことである。少数民族の女性の中には「人の首を狩ったことのない臆病な男性のところには嫁に行けない」というような人もいたらしい。

在從1895年馬關條約的締結到1945年二戰的結束的那一段時期,日本統治著臺灣。 當時為了臺灣的近代化,我們國家在臺灣的各個角落都修建了學校。 初等教育機構有兩種。 一種稱為小學,學生差不多都是日本人。 雖然小學裡也有幾名臺灣人的學生,但這些臺灣人的學生多是像父母從事律師,醫生等社會地位較高的家庭的子息。 另一種學校叫作公學,就是以提高臺灣人的教育水準為目的的學校,學生幾乎都是臺灣人。 據說日本剛開始統治臺灣的時候,山區的民族還保留著原始的風俗習慣,特別可怕的是部落間仍然普遍存取獵取其他部落人頭的習俗。 甚至還有女生不願意嫁給沒有獵取過人頭的膽小男生。 

  • 自分と台湾との関わり

祖父の父親福井県で生まれ育ち、教師になった後近代教育を普及させる理想を持って台湾へ赴いた。鹿港小学校、埔里小学校で校長を務めたが、上との対立が理由で辞職して帰国した。日本人の台湾人に対する傲慢な教育方針に対して反感を持ったのではないかとのことだ。祖母の父親は祖父の父親と同郷であり、台南の公学校で校長を務めたのち、農業専修学校の校長となり農業技術を台湾人に教えた。

我外曾祖父出生于日本福井縣,在那裡當了老師之後,懷著理想到臺灣去,在鹿港小學和埔裡小學當了個校長。後來跟上級爭吵,辭職回到了老家。争吵的原因也許是他對日本人對臺灣人教育的驕傲滋生了反感。我外曾外祖父是外曾祖父的老鄉,在台南的一所公學當校長,後來他成為農業專修學校的校長,把農業技術教給臺灣人。

祖母は台南で生まれ育った。彼女の記憶によると、付近には福建省出身の人々が数多く生活しており、彼らが作る料理はとても美味しかったらしい。広東人も比較的多かったが、福建人と言語上の差異がとても大きかったという。

我姥姥在台南長大,她記得她住的地方附近有很多來自福建的人,他們做的菜特別好吃。 而靠北方一點的地方廣東人比較多,跟來自福建的人語言上的差異極大。

祖母は台南第一高等女学校という女学校に通っていた。校舎は美しく、たくさんの果樹が生えていたとのことだ。果樹の傍には果物を勝手に取って行く者がいないか纏足の女性が座って見張っていたという。纏足という悪しき習慣は大陸のみならず台湾でも行われたらしく、日本統治時代にようやく台湾総督府が禁止したという経緯がある。

 她上了臺南第一高等女學校(現在稱爲臺南女中)。她说校園内有了很多种果樹,缠足的女生坐在旁邊看守有沒有人把水果偷走。缠足這種落後的習俗不僅在大陸盛行。直到日治時期總統府禁止,它還在臺灣也不少見。

祖母が住んでいた学内の寮は、城壁を挟んで師範学校(現国立台南大学)と隣り合っていた。女学生が風呂に入っている時など、師範学校の生徒が城壁の上に登って覗きに来ることがあったらしい。驚いた女学生は、校内に専属で住んでいた台湾人のコックなどに追いかけさせたらしいが、いつも逃げ足が速く捕まらなかったという。

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僕は山が好きなので山の話をすると、彼女は何と女学校時代に台湾最高峰の玉山に登ったことがあるようだ。当時の写真が今も残っており、山頂の集合写真には「大日本帝国最高峰新高山絶頂3930米」と書かれた標識が写っている。当時日本の最高峰が富士山では無かったのは感慨深いものがある。当時日本は「北は樺太、千島列島から南は沖縄、台湾まで」更には朝鮮半島までも版図に含んだ多民族国家であった。

 她上臺南第一高等女學校的時候爬過玉山,是臺灣的最高峰。 從當時的照片裡可以看到幾位女學生在山頂合影,她們旁邊的標誌上寫著大日本帝國最高峰新高山絕頂3930米。 當時日本的最高峰不是聞名於世的富士山,這使我感受極深。

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  • おわりに

日本人がよく使う言い方の一つに、「日本の台湾統治は台湾の現代化の基礎を作った。鉄道の開通、水利施設の建設、公衆衛生の改善、医療水準の向上、これらはもちろん台湾現地の人々のためだけに為されたものではないにしろ、結果的に日本が台湾の発展に少なからず貢献したのである。当時の日本人は台湾を搾取の対象として見ることはせず、台湾が日本の他の場所と同じように発展することを望んだのである。」というようなものがある。

日本人喜歡這麼個說法;日本的統治奠定了臺灣現代化的基礎。 鐵路的開通,水利設施的修建,公共衛生的改善,醫療水準的提高,這些雖然不單單是為臺灣人的利益而做的,但從結果上看日治為臺灣的發展做出的貢獻不少。 可以說,當時的日本人沒有把臺灣看作榨取的物件,他們希望臺灣能夠像日本的別的地方一樣發展。

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しかしながら、日本統治の負の側面も無視することはできないだろう。祖母の話から伺えるのは、当時少なからぬ日本人の間で台湾人を蔑視する風潮があったということである。祖母宅にも台湾人の使用人が2人いたが、彼女は小さい頃から使用人を呼び捨てにして様々な家事もやらせていたという。また、街中で台湾人に会った時一種の優越感を感じることもあったことも否定できないという。背景には日本人こそが最も崇高な民族であるというような傲慢な考えがあったであろうし、現地の人々に対する尊重が欠けていたと言わざるをえないだろう。この他に、仕事についても台湾人は警察など治安関連の仕事に就くのは難しかったそうだ。

儘管如此,日本統治也有負面。 我從姥姥的話得知,當時不少的日本人用鄙視的目光去看臺灣人,我姥姥向我說,她家曾有兩位臺灣人的勤務員,她從小以驕傲的態度叫他們做家務。 而且,她說她不否認在街上看到臺灣人的時候對他們往往有一種優越感。 她背後的想法也許是覺得日本人是崇高的民族,對當地人缺少尊重。 此外,聽姥姥說在工作方面,臺灣人不容易從事警察等與社會治安有關的工作。

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登山に対する興味から台湾に行きつき、結果として台湾で生活した先祖の話が聞けることになったのには不思議な縁を感じざるを得ない。根本的な話をすれば、どんな場所であっても植民統治とは強権的なものであり、元々大義は無いだろう。けれでも上述のような家庭背景をもつ一人の日本人として、少なくとも初めの頃は日本人は比較的しっかりと台湾を統治していたと信じたい部分がある。台湾の多くの人々が現在に至るまで日本に対して肯定的な国民感情を持っていることは僕にとって小さな慰めである。

我以對爬山的興趣為契機得知我祖先的故事,不禁感覺到命運的安排。 從根本上說,不管是什麼地方的殖民統治性質都是強權的,本身沒有大義。 但受到本國國情和官員素質的影響,實際運作上還是有所不同。 作為有這種家庭背景的日本人,我想相信至少起初日本人是比較踏實地統治臺灣的。 臺灣人現在對日本人懷有的正面感情比較多,這對我來說是個小小的安慰。

  •  INFORMATION
山と雲と蕃人と―台湾高山紀行

山と雲と蕃人と―台湾高山紀行

 

日本統治時代に鹿野忠雄によって書かれた山行記録集。日本統治時代の台湾山岳地域は「蕃人」とそれを統治する警察官のみの世界であった。当時道と言えるものは「蕃人」による狩猟道や婚姻関係のある部落同士を結ぶ藪道しか無く、鹿野は「蕃人」と協力しながらそういった台湾の山々に次々と足跡を残していった。今日売られている復刻版は、最初の33ページが台湾の山岳風景や動植物のカラー写真から成っており、巻末には台湾登山界でその名を知らない人はいないであろう楊南郡(登山家、翻訳家。数多くの日本統治時代の登山記録、原住民関連文献を中国語訳した。2016年8月に逝去。)による詳しい脚注・用語解説がついている。装丁も綺麗であり、台湾に山に行くならまず手元においておきたい本だと思う。

日本統治下の台湾の球児と監督の物語。

街道をゆく (40) (朝日文芸文庫)

街道をゆく (40) (朝日文芸文庫)

 

街道をゆくの台湾編。台湾へ行く前に読んでおきたい。

日式台湾時刻表2015年5月号

日式台湾時刻表2015年5月号

 

 日本仕様に編集し直した台湾の鉄道時刻表。鉄道好きの人は是非。

D10 地球の歩き方 台湾 2015~2016

D10 地球の歩き方 台湾 2015~2016

 

 やっぱり日本人には地球の歩き方が一番見やすいと思う。

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神奈川県、江ノ島神社の脇にひっそりと佇む児玉神社。日本の台湾統治時代を知る上で、児玉源太郎後藤新平と並んで欠かせない人物である。

這是位于神奈川縣江ノ島的児玉神社,它祭奠著児玉源太郎-日治時期的第四代臺灣總統。