日本統治時代の古道を訪ねて(合歡越嶺道)

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台湾大学登山社の山行に誘ってもらって、日本統治時代の古道を探検に行ってきた。台湾では、主に登山道のある場所を「傳統路(伝統路)」、登山道の無い場所を藪を漕いだりして進むスタイルを「探勘」もしくは「勘查」と呼んでいる。

台湾の「探勘」はもちろん人の入らない原生的な自然を求めて行くことも多いのだが、一方で日本統治時代の古道・駐在所跡、森林鉄道跡、原住民の生活痕などを探しに行くこともあったり、かなり懐の深い文化として定着している。

今回は日本統治時代の合歡越嶺道(当時台湾を東西に結んでいた主要道の一つ。現在の中横公路の前身)に沿って、日本軍の墳墓群及び吊橋を見に行くという計画である。

這是10月末勘查日治時代古道的記錄。這次行程是沿著合歡越嶺道探訪日軍墳墓群與古道的吊橋。感謝台大登山社,讓我體驗臺灣的探勘及給我機會了解日本與臺灣的歷史的一端。

  • 10月31日

朝、登山口へ向かうタクシーの中で猛烈な尿意に襲われた。良く考えたら朝起きてからラーメンの汁を飲み干し、紅茶を沸かして飲み、挙句の果てに途中に寄ったコンビニでまた500mlの飲み物を買って飲んだのだから自業自得だ。。

突然口数が少なくなり目が虚ろな自分を見て、まだその頃は付き合っていなかった彼女が「どうしたん?大丈夫?」と聞いてくる。恥ずかしいが、ここで意味不明な嘘をついても仕方ないので正直に言う。

彼女はそれを聞いて、「運転手さん、トイレ行きたい人いるからここで車止められない?」と言ってくれたが、運転手は「えー?でももうすぐ着くからちょっと我慢しなよ」とか言って引き続き車を飛ばす。悪夢。しかも結局全然もうすぐじゃなかったし。

ようやく着いた登山口。タクシーのドアを勢い良く開けてダッシュし、そしてやっとのことで苦しみから解放される。

はー死ぬかと思った。

淩晨去登山口的計程車上,一陣強烈的尿意襲來。我想到今天起来後到底喝了多少水。首先起來之後泡拉麵把所有的湯喝掉,然後泡紅茶喝,此外路上的seven還買了一瓶飲料又喝。我女朋友(雖然那時候還不是)坐在我旁邊,敏銳地發現我臉色蒼白眼神呆滯,問我說:「你怎麽了」。我就說 :「說實話很想上厠所...。」覺得很丟臉。

她就幫我問司機能不能停下來,可是司機只回答說:「等下快到了」。

我也不好意思說「現在真的很急!快不行了!」之類的白痴話,只好忍住。這真的是一場噩夢。而且雖然他說快到了,可是卻開得很久!

終於開到登山口時我立馬打開車門跑出去,尿了超久。

再久兩分鐘我就要死掉了。

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出発点は中横公路139.5K地点。そこから南東に伸びる尾根沿いに降りていく。立霧渓を挟んで、中央に立霧主山(3070m)と佐久間山(2809m)が望まれる。佐久間というのは第五代台湾総督で太魯閣戦役を指揮した佐久間左馬太から取られた名前である。

出發點是中橫公路139.5K地點,然後沿著通向東南的山稜走下去。對面隔著立霧溪挺立著佐久間山和立霧主山。

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 古白楊大断崖、一番遠くに三角錐山(2607m)。

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一見すると爽快な藪に見えるが、ススキの葉は鋭利なので沢山の切り傷ができる。

看起來是爽快好走的草叢,不過因爲芒草很鋒利所以免不了刮好幾道傷口。

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右側の双耳峰が奇萊北峰(3607m)。

右邊雙頭峰為奇萊北峰。

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道沿いには原住民によって設置されたであろう仕掛けが散見される。恐らく動物が走ってきて、足が引っかかったら抜けなくなるという類のものだろう。

路上可以看到獵人設下的圈套,應該是動物的腳勾到就無法掙脫的東西吧。

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辿り着いた日軍墓葬群にて。桜の木が植えられている。この墳墓群は日本統治時代に作られ、1914年の太魯閣戦役において犠牲となった日本軍兵士、警官を供養したものである。

到了日軍墓葬群,有比較完整的駁坎和櫻花樹。這墓葬群埋葬在1914年太魯閣戰爭戰死的日軍將士。

(※)太魯閣戦役

太魯閣戰役とは未帰順で度々対立の絶えなかった太魯閣族を征伐するために1914年に日本側が発動した戦争である。

太魯閣戰爭 - 维基百科,自由的百科全书

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キリンビールの瓶が落ちている。日本統治時代,きっと墓に花をたむけ酒を捧げに来た人がいたのだろう。

在地上發現了日本的麒麟(キリン)啤酒的空瓶,應該是很久以前在日治時代來掃墓的人留下的吧。

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その後、古白楊吊橋を見に行こうと合歡越嶺道を北上するが、道は崩壊が著しく途中で進行不能となったので引き返す。

看完墓葬群之後,向古白楊吊橋沿著古道北上,不過因爲中途有過不去的大崩塌,所以半路撤退。

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幕営地に着いてタープを張る。銀マットを敷いて野菜を切って・・・この感じはまさにワンゲルといったところ。うちと違うのは上級生下級生無く切っているところと、切る以外の作業は食料係がほぼ一人で行うこと。

そしてみんなが往々に歌を歌いはじめる。自分もみんなで歌える歌を一曲覚えようと思って、出発前友人に教えてもらって何度も繰り返し聞いた曲がある。それが「中横情歌」。

到營地,搭外帳鋪銀色睡墊,切著蔬菜閒聊。這個氣氛真的很像我們山社。跟我們不一樣的是不管學長學弟學姐學妹都在幫忙,我們都讓一年二年級的學弟學妹們做,上了三年級之後可以享受資產階層般的優雅。

切完了一些人各自唱起歌。我出發之前覺得至少要有一首可以跟大家唱的歌,所以反覆聼中橫情歌記住了曲調和歌詞。

當你投入情越真    往往痛苦越深沉
總是想起你的笑    讓我忘記在紅塵

走遍千山萬水   有哪兒歇腳
聽說風的一生   就是注定流浪
該錯過的事   總是再三錯過
該遇上的人   為何不再遇上 

山でみんなで一緒に歌を歌うという時間はとても素晴らしいものだけれど、突然胸が痛くなって涙が出そうになった。多分1つは歌詞に心を揺さぶられるからであり、もう1つは自分が大学のワンゲルでは何故かいつも孤立していて、こういう和やかで楽しい雰囲気を作る事ができなかった無念さによるものだろうか。

我跟大家唱著覺得很開心,可是突然間卻想要哭泣。也許是因爲這歌詞太感人,或者是因爲我自認為在自己的社團時沒能製造這麽和諧又開心的氣氛,留下了一點後悔吧。

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そういえば今日はハロウィンだ。彼女が皆を楽しませようと担いできた南瓜を皆で彫った。そういう気遣いがたまらなく好きだ。可愛く彫れたものも、恐ろしい表情のものもあるけれど、皆違って皆良い。

話説今天是haloween,我女朋友背上來了每人一個小南瓜,讓我們刻。我很喜歡你那種性格,讓大家娛樂的體貼。有的刻得很可愛有的超醜,像那左上角的到底想要刻什麽表情XD 不過擺在一起覺得都很好看。

ご飯を食べ、お酒を飲み、疲れた人が一人また一人と眠っていく。自分も超高速の会話ペースにやがてついていけなくなり、疲れてしまって横になった。みんなの歌声を聴きながら穏やかな気分になり、そしてふと今この時間に繰り広げられているであろう渋谷の惨状に思いを馳せた。

吃完飯,喝著酒聊天,累的人一個一個地躺下睡覺。不久之後我也跟不上超快的講話速度,一直傾注全力聼了之後有點累,所以決定躺著休息一下。聴著大家的歌聲覺得很平靜,然後忽然想起了應該正在渋谷展開的淒慘場景。

【有片】萬聖節逼爆「渋谷」 狂歡過後滿目瘡痍 | 探索新聞

  • 11月1日

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朝、霧に煙る山々が美しい。出発。

早晨霧氣朦朧的山很漂亮。出發!

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古道は岩をくりぬいて作られたトンネルをくぐる。

古道上有挖通大石頭的隧道,獵人好像還在用那個空間,裏面留著一些生活用具。

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トンネルの中は、原住民によって居住スペースとして使われてきたと見える。ライトや仕掛けなどが置かれている。

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そしてしばらく歩いて吊橋にたどり着いた。「ロオン橋」の記載がある。台湾の山奥で片仮名が書かれた吊橋を見るのは感慨深い。

一路走到了吊橋,上面用日語片假名寫著”ロオン橋”。在臺灣的深山看到日語這個事實使我感慨頗深。

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谷は深い。往時の吊橋から眺める風景はきっと壮観だったに違いないが、今この橋を渡る勇気のある人は残念ながらいない。

吊橋架在深不見底的峽谷上,當時從橋上看得到的風景一定會很美,不過現在沒有人敢過這座橋。

吊橋からは再び墓葬群まで戻り、昨日下ってきた稜線を上がる。稜線を上がるのは、道に迷う危険も無いし気分が楽だ。歌を口ずさみながらゆっくり登る。

從吊橋回到墓葬群,然後走上昨天下來的那條稜線。上去的時候沒有走錯的風險,心情就很輕鬆。我邊唱歌邊慢慢走。

後ろを歩く女の子が聞き覚えのあるメロディーを口ずさんだ。懐かしくなって思わず1オクターブ下で一緒に口ずさむ。台湾では「依然在我心深處」、日本では「春の日の花と輝く」と呼ばれる曲だ。元来はBelieve Me, If All Those Endearing Young CharmsというThomas Moorの詩を伝統的な旋律に乗せたアイルランド民謡であり、恐らく東アジア圏に伝わったのは後に堀内敬三という人が邦訳したのがはじめだろう。台湾大学登山社では誕生日を祝う時に歌うというが、何ともロマンチックな歌で祝うものだと思う。

Believe Me, if All Those Endearing Young Charms - Wikipedia, the free encyclopedia

走在我後邊的女生唱起了我很熟的一首歌,我也跟著她一起哼。歌名在臺灣稱爲“依然在我心深處”,在日本叫做“春の日の花と輝く”。它本來是愛爾蘭民謠,最初傳到東亞的應該是歌詞被堀内敬三翻譯成日文的時候吧。聽説在台大登山社祝福生日的時候唱這首歌,覺得很浪漫。

春の日の花と輝く 當你的青春美麗日漸消去
うるわしき姿の 當你雙頰被清淚沾濡
いつしかにあせてうつろう 我的熱情依然在我心頭深處
世の冬は来るとも 還增添了對你的愛慕
わが心は変わる日なく 誠信真摯的愛從不輕易吐露
おん身をば慕いて 只隱在心深處常駐
愛はなお緑いろ濃く 有如葵花向日一片癡情付與
わが胸に生くべし 任今朝明朝日晞日暮

そうして、のんびりと出発点の中横公路139.5K地点まで元来た道を戻ってきた。

近くの休憩所まで歩いて綺麗な服に着替え、ヒッチハイクを試みる。女性が前面に立ってまず車を呼び止め(男性がやるより成功率が圧倒的に高いらしい)そして自分を含めた男性陣が次々と乗り込んで行く。その手際良さにただただ感心すると同時に思わず笑ってしまった。

回到中橫公路139.5K,在附近的停車場換上乾淨的衣服之後,試圖攔便車回新城。據她們說女生去問的話成功率較高,的卻如此,她們不久便攔到了幾輛車,讓我們男生先坐下去,覺得真了不起。

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列車駅に着いてザックを降ろし、近くのコンビニに物を買いに行く。駅通路の側に並ぶ汚れたザック。この既視感のある光景。。

到了火車站之後,把髒髒的背包放在走道旁邊。這個場景讓我想起來一年前在東大山社的日子,爲何你們跟我們這麽像。

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帰る前、駅の近くに神社跡があると聞いて寄って行った。旧新城神社。神社が建造された契機は新城事件で殺害された日本人を祀るためであったという。

(※)新城事件(1896)

日本兵タロコ族の少女を強姦したことの報復として、13名の日本人が首を狩られて殺害された事件。

この地域はどうも日本人が残した負の歴史が少なからずあるようだ。

回家之前,聴說新城車站附近有值得一看的神社舊址,我便去看。

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鳥居をくぐって中に入るとそこは教会。ノアの方舟を模した建築らしい。

走過鳥居就看到了教堂,覺得很神奇的搭配。這個地方在日治時代是新城神社神社的沿革跟日本和太魯閣族的衝突(新城事件)有著很大的關係。

新城事件 - 维基百科,自由的百科全书

後來光復後被改建成教堂。據説是模仿諾亞方舟而蓋的建築。

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友人に教えてもらったレモンジュースを購入し、もともと手水舎であった場所に設置されたベンチで一息つく。今度はどこの山に行こうかな。

神社舊址附近有一家很棒的檸檬汁店。我把它外帶,坐在椅子上一邊喝一邊想下次要去哪裏爬山。

  • 考察

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今回のルート(一日目のみ)。標高1550m付近の尾根が広くなる場所で、勾配の緩やかさにつられて南へずれてしまったと思われる。すぐに気付いて復帰できたから良いだろう。ちなみに地図上では日軍墓葬群が遥か南東に記載されているが、誤りである。

從第一天的路跡可以看出來我們在海拔大概1550公尺的地方,因爲南邊比較平緩,不小心離開了主稜線。我當時也沒有發現。還好有人比我經驗豐富,不久就發現了對的山稜。我後來想,既然稜線北邊始終很陡,沒有向北邊走錯的風險,所以當初該靠北邊走了。

接下來,我來介紹一下我們山社的探勘方式。我覺得這個方式有利有弊,可以減輕整個隊伍的疲累,不過前線的負擔有時候太大。

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自分達がワンゲル登山道の無い場所に行くときは隊形を組んで行く。3人が前に出て、左・真ん中・右に散開して前方の状況(間違い尾根の有無、尾根の走行角度、植生や障害物の多さなど)を確認・報告し、後ろの人達が歩きやすく正しい経路を進めるよう導く。リーダーは報告を聞き適宜前に指示を出す。台湾大学登山社にはこのような仕組みはなく大体皆が一列で進む。

我們去探勘的時候有一定的隊形。前線(我們叫做top)有三個人,地形複雜或稜線分歧的時候三個人盡量散開,以免所有的人都走錯路。例如

前線A “這邊有一條稜線通向大概160度,可能是地圖上右邊那條支稜線,我去看確定一下”

前線B “好!那我就沿著現在這條稜線走”

前線C "好!中繼!現在A去確定一下右邊160度的是不是錯的稜線,B現在在主稜線上,我在稜線左邊,不過這裡很陡不好走,所以我也要回主稜線去跟著B一起走。

中繼“好啊!領隊!現在的情況是......

需要的資訊從前線經過中繼傳到領隊,領隊聽到之後就給予一些指示,像“現在地形明顯,C不用走得離主稜線太遠” ,然後指示再經過中繼傳到前線去。

有時候前線的某一個人被灌木卡住或者去確定錯的稜線之後回來需要一點時間。這個時候中繼便走到前面去當前線,本來當前線的那個人當中繼。這樣才不會耽誤其他隊員的前進。

  • 参考

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台湾で古道・駐在所跡などを巡る時には日本統治時代の地形図が活躍する。国立台湾大学図書館4階で中華民国発行の地形図と日本統治時代の地形図を両方印刷して持っていくというのが台大登山社のスタイルだ。当時の山岳地域(蕃地と呼ばれており、平地の一般行政区域の法律は適用されず警察による統治が行われていた)の道は、交通の他に原住民の警備監視という要素を色濃く持っており、山中に点在する部落(カオラセ社、バトノフ社、レボック社、クバヤン社,シキリヤン社など)を結びながら要所要所に警察官駐在所が置かれているのが見てとれて面白い。ちなみに地図中には「関ヶ原警官駐在所」という駐在所が見られるが、これは1914年の太魯閣戦役の際に日本軍がここに陣地を構え作戦指揮を行ったことから、かの有名な岐阜県の古戦場になぞらえて「関ヶ原」と名付けたものであり、現在も關原という地名としてその歴史を名に残している。

台湾の山は単なる「海外の山」ではない。そこには日本人が残した歴史も色濃く残されているのである。

  • 参考文献

https://www.nikkei.asia/gallery/vol87/87_tokushu2.pdf