休学中の記録

通訳案内士試験(中国語)と銭湯の記憶

f:id:toyojapan1:20151215163848j:plain

8月末に受けた通訳案内士試験(中国語簡体字)の筆記試験に合格していたので、龍谷大学で面接試験を受けてきた。以下はその備忘録のようなものと、そのついで話を徒然なるままに。

通訳案内士試験概要|日本政府観光局(JNTO)

  • ガイド試験当日の概要

試験官は感じの良さそうな日本人のおじさんと中国人のおばさん。終始フレンドリーだった。まず名前と生年月日を聞かれ、「緊張してますか」「はい凄く緊張しております」というやりとりがあってから、本題に入る。

まずは試験官が日本語で読みあげる文章を中国語に訳して話す問題。話す時間は1分程度が目安と言われた。日本語の文章は確かこんな感じ。

山梨県は山の多い県であるにも関わらず何故「山無し」と呼ばれるのでしょうか。一説によると、山梨の名前の由来は「山成す」、即ち「山また山」という意味の「山成」が転じて「山梨」になったと言われています。

難しい文章である。あまり淀みなく話せたが、うまく文意を伝えられた自信がない。話すのが早すぎて30秒くらいで話し終わってしまったような気がする。

次に3つのテーマから1つ選んで2分間程度で説明する問題。

3つのテーマの選択肢は「出羽三山、日本の城について、銭湯」。まさか銭湯が来るとは。東京にいる時ほぼ毎日通っていた。嬉々として話し始める。

「銭湯というのは公共浴場のことです。昔は比較的貧しい人や大学生などは家に風呂が無いことが多く、銭湯は重宝されていました。しかし生活水準の向上と共に風呂の無い家は減少し、それに伴って銭湯も徐々に減少し、今では消滅の危機を迎えています。私も大学に通っている時よく銭湯に行っていましたが、その銭湯も今年廃業となったようです。銭湯の特徴としては壁に富士山や風景の綺麗な場所の絵が描かれており、そういったところも魅力の一つです。価格についてですが、値上げが続いており、現在は大体450円程度となっています。」

順序はバラバラでまとまりはないが、とりあえず話すことはできた。ただ自分が話したのが1分なのか2分なのか3分なのかわからない。続いて中国人試験官から質問が飛ぶ。

「銭湯の「湯」という文字は中国語では飲むスープを意味するのですが、日本語では特にそういったことはないのですか?」

変則的な質問である。

「はい、日本では「湯」の文字は食べるか否かに関わらず使います。基本的には熱水という意味です。」

「銭湯の銭というのはどういう意味なんですか。」

「銭湯の銭の字は、・・つまり昔のお金の単位の一つで・・今日本で使われるお金は円ですが以前は銭という単位がありました。今は値上げしていて銭が使われることはありませんが、・・まだ名前が残っています。」

その場で適当なことを言ってしまった。明らかに誤りなので素直にわかりませんと言えばよかった。

「銭湯はどういう場所にあるんですか。」

「東京や京都、大阪など大きめの街には大概あります。減少しているとはいえこういった都市にはまだ必ずあります。」

「どうやったら見つけることができるんですか。」

「町中で○○湯と書かれた看板を見かけたらそれが銭湯です。もしくは特徴的なマーク、えっとそれは温泉をデザインしたマークで上に蒸気があって下が・・・中国語で何と説明したらいいのかわからないのですが、・・・こういう(ジェスチャー)マークがあります。」

「ちょっと書いてみてもらえませんか」

「はい、えっと、こういうマークです。」

温泉マークを書いて見せる。まぁこれでいい。実際のガイドの現場でも全て言葉で説明できるとは限らないのだ。

「銭湯の利用者はどんな人が多いですか。」

「基本的にお年寄りの人が多いです。先ほど銭湯の価格が450円だと言いましたが、お年寄りだと100円ということも多いので、価格も理由の一つだと思います。僕など若者が入る時は450円払わないといけませんが無茶苦茶高いとおもいます。本当に割に合いません。」

無茶苦茶高いと思いっきり感情を込めて言ったところで日本人試験官が少し笑った。ミスった。つい感情がこもって言わなくても良い事を言ってしまった。誰だったか、面接ではあまり自分の主観を入れたりネガティブな情報を入れたりしない方が良いと言っていた気がするが、もう遅い。

「それでは、外国人観光客にとって銭湯の魅力は何だとおもいますか?」

「先ほども言ったのですが、銭湯の壁には富士山だったり、観光名所だったり、そういう綺麗な風景の絵が描かれています。湯に浸かりながらそういった風景画を眺める感覚は素晴らしいと思います。」

そしてここで試験は終了した。

後になって銭湯の魅力として「人情味があって・・・」とかもっと色々盛ることができたなぁと思ったけれど、それは後の祭り。

あとは結果を待つのみ。→合格していました。中国語圏から日本にやってくる人々をこれから沢山案内できればと思います。

  • INFORMATION

日本国家旅游局 

日本の観光名所などの中国語の紹介がある。暇つぶしと勉強を兼ねることができるので良いと思う。

受験者は4050代60代くらいの人がほとんどのような気がした。服装は僕はセーター、ジーンズ、スニーカーで行ったが、スーツを着て来ている人もかなりいた。

三訂版 徹底攻略 国家試験 通訳ガイド(中国語)

三訂版 徹底攻略 国家試験 通訳ガイド(中国語)

 

 対策本。問題傾向は変わりつつあるが、練習や勉強の指針にはなるし使いやすかったと思う。

  • 銭湯の記憶

f:id:toyojapan1:20151217022956j:plain

休学期間が9ヶ月になり、ついつい大学に通っていた頃のことが遥か昔のことのように感じるが、そういえば当時は風呂なしの部屋に住んでいたから毎日銭湯に行っていた。最寄の銭湯まで距離は下宿から大体片道7分くらい、静かで昭和の雰囲気に満ちた路地を毎日歩いた。ある時は考え事をしながら、ある時は地元の友人とLINEでどうでも良いことを話しながら、またある時は音楽を聴きながら。

f:id:toyojapan1:20151217022946j:plain

「トップページ」文京区浴場組合 -出会いの湯-

銭湯の前までたどり着いた時に、門にシャッターが下りていて「本日は臨時休業致します」の張り紙が一枚貼られているのを見て唖然とすることもあるのだが、平時は暖簾をくぐって靴を下駄箱に入れ、下駄箱の鍵となっている木製の下足札を取る。そして建物のドアを開けて「こんばんは」と言って1枚420円の回数券を番台さんに渡し、脱衣場所に設置されたテレビを見ながらダラダラと服を脱いで洗い場に入る。洗い場のドアはしっかりと閉めないと常連のお爺さんあたりに怒られることがあるので注意が必要である。

洗い場のシャワーは往々にして異様に熱く、体を洗う時はまだ良いとして頭を洗う時などは本当に「こんな熱いお湯で毎日頭洗ってたらそのうち禿げるんちゃうかな」と思いながら、できるだけ遠い場所からシャワーを当てて我慢しながら髪の毛を洗っていた。

体を洗い終え、湯に浸かりながら対面の壁に描かれた雪を被った立山連峰のペンキ絵を眺めるのは何とも心地の良いものだった。海を挟んで立山連峰という構図だったから多分氷見あたりの海岸からみた風景をイメージして描かれたのであろう。銭湯に行くのは大体夜だったが、いつだったか夕方に入りに行った時、窓から入り込む斜光線にペンキ絵の立山連峰が夕日色に照らされていて感動したのを覚えている。銭湯開業者は新潟など北陸出身者が多いとどこかで聞いたことがあるから、ペンキ絵に富山の風景が描かれたのにはそういう背景もあるのだろうか。反対側、浴場に入って正面の壁には「富士と松島」と名付けられた、日本最高峰と日本三景が共演する豪華な壁絵が描かれていた。これもどこで聞いたか忘れたが、元々は富士山だけであった図案に、東日本大震災の後松島を付け足したという話だった。

僕が一番良く通ったこの銭湯は菊水湯というところで、湯温はかなり熱めではあるがじんわりと体が芯から温まる自分が一番好きな温度だった。もう一箇所近くに異様に熱く、というか三回行くと一回くらいは熱いを通りこして痛い銭湯があった。ここも脱衣場の雰囲気など結構好きだったし、寒波がやってくる日などはその次元を超えた熱さを目当てに行ったりしたものだったが、ある時一緒に行った友人がこの異次元の熱さに素直に興味を持って番台のおばちゃんに「ここの銭湯って何でこんなに熱いんですか?」と聞いたところ、「熱いのが嫌な人は入りに来なきゃいいのよ。うちは熱いのが好きな人が来るの。」と非常に素っ気なく答えたことがあった。別に嫌とも何とも言ったわけではないのにどうしてそういう反応になるのだろう。その返答を聞いた時から、僕は他の銭湯が休業などの事情が無い限りその銭湯に行くことをやめようと思った。

話は戻って菊水湯だが、菊水湯も素っ気ないと感じることがあった。文京区の銭湯は第二日曜日、第四日曜日は一律入浴料100円である。ある日曜日、当然のように100円玉を渡したら「区民証を見せてください。区民証がないと駄目です。」と言われたことがある。自分はほぼ毎日この銭湯に入りに来ている時点で現在文京区の住民であることは明白であるし、そもそも論として銭湯の性質上地域密着型であって外部の人間が来ることはほとんど無いのだから、別に区民証がどうのこうのととやかく言う必要性を全く感じないのだけれど...。また、第二、第四日曜日でも22時だったか23時だったかある時間を過ぎると通常料金の450円を払わされることになるのだが、その意味がよくわからなかった。まぁそんなことがあっても、そもそも自分はお湯を借りている立場であって、そこに銭湯が存在してくれているというのがどれだけありがたいことか知っていたから、それはそれで受け入れていた。

洗い場を出て服を着て、「ありがとうございました」という番台さんの少し無機質な声に送られて暖簾をくぐって外に出ると、来る時とは打って変わって火照りに火照った体には凍てつく寒さであるはずの真冬の外気がとても心地よく感じられる。そして帰り道、よく途中にある自販機で100円のキレートレモンを買って飲んだ。湯上りの体に炭酸の爽快感と檸檬の酸味が駆け巡るあの感覚。そしてタオルを首にぶら下げ、心地よい寒風に吹かれながら長袖一枚でまた下宿まで歩いた。

そんな菊水湯も、今は無くなってしまった。

僕が思い入れが深かったのは本郷の菊水湯、一番好きだったのは御徒町の燕湯。朝6時から空いているから、入りそびれた日の翌朝などによく通った。でも下宿からはちょっと遠かったなぁ。