休学中の記録

初春の中国山地ドライブ旅(姫路~若桜~用瀬~倉吉~湯原温泉~備中勝山~吹屋~姫路)

f:id:toyojapan1:20190609004649j:plain

中国地方はこれまで色んな場所を旅行してきた。高校時代に既にJR芸備線因美線津山線伯備線福塩線呉線山陽本線山陰本線といったローカル線は乗りつぶしていたし、色んな駅で途中下車をして観光をしてきた。

当時はお金も無かったし、駅で寝泊まりしたことも何度かあった。高校2年の時、お年玉で寝袋を買って意気揚々と3月の「備後矢野駅」に降り立ったが、その日は底冷えが寒くて寒くて一睡もできなかったのは良く覚えている。

当時から無鉄砲な思い付きによる行動力には優れていて、それが時にはやせ我慢と引き換えに自己満足を手に入れるだけのものであっても、自分にとってとても貴重な時間だった。

その頃好きだった旅の本は、山と渓谷社の「ゆったり鉄道の旅」「小さな町小さな旅」というシリーズで、青春18きっぷでローカル線に乗って、途中下車をしながら小さな町を巡るのが長らくの僕の旅のスタイルだった。

ところが中国地方のローカル線は本数があまりにも少なく、1日3~4本しかないようなローカル区間で途中下車などしてしまった日にはそれだけで1日が終わってしまう。山陽本線山陰本線など比較的本数の多いところは途中下車をしながら旅ができたが、内陸部は必然的に途中下車は省略した純粋な「乗り鉄」を目的とした旅にならざるを得ず、このため訪問できなかった町がたくさん残っていた。

そこで2017年の3月末、1人で思い立ったようにこれらの町を結ぶドライブに出かけた。4月から東京で仕事を始めることになっていたので、その前に西日本を回っておきたかったというのもあった。また、社会人になるにあたって、これまで自分に馴染んだ旅のスタイルは一旦捨てて、新しい旅のスタイルを試してみようと思ったのだった。

2017年3月30日

朝早起きして姫路までは新快速列車を使って行く。学生割引を使えるのも最後かと思うと妙に感慨深さがこみ上げる。姫路駅でレンタカー。お城は10年前に見たことがあるので横目に見るにとどめ、早速内陸へ向けて国道29号線に沿って車を走らす。

f:id:toyojapan1:20190609113515j:plain

まずは「播磨国一の宮」伊和神社を参拝していく。一宮にふさわしい鎮守の森。すぐ目の前に道の駅があって地元の農産物がたくさん売られている。駐車場も大きいので休憩場所としては最適である。

休憩を終えて県境の峠に向けて出発する。兵庫県/岡山県境の戸倉トンネルを越えるが、中国山地第二の高峰・氷ノ山(1,510m)にも近いところなので思ったよりも山深く、雪深いところである。残雪がまだら模様に残った初春の山に心奪われながら、脇見運転に注意して一路若桜へと下っていく。

若桜

駅に車を止めて散策を開始する。

f:id:toyojapan1:20190608235747j:plain

若桜駅の駅舎をはじめ、沿線の木造駅舎や橋梁などは国の登録有形文化財となっている。

f:id:toyojapan1:20190608235725j:plain

構内にはC12型SLや給水塔、転車台などがある。線路に沿って桜並木が続いている。桜の季節には背後の中国山地の山々と一幅の絵のような景色を作り出すに違いない。

今は駅の入場料に300円取られるらしいが、2017年当時はまだ大らかなもので自由に出入りができた。ローカル鉄道で毎年地元自治体からの赤字補填が問題になっているはずだから、有料化も仕方ないと言えば仕方ないのかもしれない。

f:id:toyojapan1:20190609000945j:plain

人の気配がない土蔵の町並みを歩いて...日本の「小さな町」は美しいたたずまいだが、どこも活気が無いのだ。

f:id:toyojapan1:20190609000806j:plain

どこだったか、昼食を食べた。退職後に一緒に旅をしているという夫婦と一緒のテーブルに座った。あの時、何を話したんだったかな。。薄れていく記憶。

用瀬

鳥取県の千代川に沿って車を走らせているとふと奇妙な光景が目に入った。

f:id:toyojapan1:20190609001019j:plain

偶然通りかかった3月30日がどうも旧暦の3月3日の「ひな流し」の日に当たっていたらしく、せっかくなので見ていくことにした。

f:id:toyojapan1:20190609143024j:plain

古くなったお雛様は積み上げられ、焼却される。ちょっとセンチメンタルな気分になる。

f:id:toyojapan1:20190609000142j:plain

町中はお雛様で飾られていて古い町並みが華やぐ。各家が家宝(?)の雛飾りを窓を通して外からも見えるように飾っていたり、あるいは内部を開放して参観できるようにしたりしていて観光客も楽しんで歩くことができる。

f:id:toyojapan1:20190609000445j:plain

用瀬を後にして、山の中に入っていく。中国山地の辰巳峠、人形峠といった峠道を越える。

f:id:toyojapan1:20190609001159j:plain

道が整備された今では全く苦労せず峠越えができるが、昔はそうではなかったのは「まんが日本昔ばなし」で描かれた大蜘蛛の化け物の物語からも窺い知ることができる。

f:id:toyojapan1:20190609150558j:plain

中国地方の山間部は案外雪深いのである。3月末でもこれだけの残雪が見られる。

倉吉

夕方になって、倉吉の町に着いた。倉吉にはその名の通り蔵が多く、江戸・明治期の白壁土蔵群がよく保存されている。

f:id:toyojapan1:20190608235848j:plain

「元帥」という東郷平八郎にちなんで名づけられた酒蔵を覗き、町を当てもなくぶらぶら歩き...

f:id:toyojapan1:20190609131303j:plain

2016年10月の鳥取県中部地震の影響で、屋根にブルーシートがかけられた家も多く見られた。

その後は湯原温泉へ。おいしいごはんを食べ、「砂湯」の野外混浴露天風呂に浸かって一日を終える。これまでと違って一日で色んなところを「効率良く」回ることができたなぁ...と感慨深く振り返る。

3月31日

備中勝山

湯原温泉で朝風呂を楽しんでから旭川に沿って車を走らし、勝山の町に着く。

f:id:toyojapan1:20190608235837j:plain

最近は「暖簾の町並み」として売り出している勝山の町。出雲街道の宿場町として発展し、なまこ壁の酒蔵や古いお寺が残っている。

f:id:toyojapan1:20190609151304j:plain

安養寺へと続く階段。

f:id:toyojapan1:20190609000008j:plain

備中勝山は旭川に面し、上流と下流の物資の集散地としても栄えた。川沿いには水運に使われていた時代の名残の風景がある。きれいに積み上げられた石垣と階段。昭和初期頃までは高瀬舟が行き交っていたという。

吹屋

最後の目的地は「べんがらの町」吹屋。新見の町は雨だったのだが、標高を上げるにしたがって雨が雪に変わった。正直もうすぐ4月になろうという時期に西日本で雪に見舞われるとは思っていなかったのでびっくりした。

f:id:toyojapan1:20190609000648j:plain

吹屋には赤色顔料である「ベンガラ」で富を成した豪勢な家が軒を連ねる。屋根は石州瓦の赤色、外壁もベンガラで着色されており、全体的に赤色(というか朱色と言った方が良いか)がかった統一感のある町並みが続く。

f:id:toyojapan1:20190609001350j:plain

f:id:toyojapan1:20190608235911j:plain

f:id:toyojapan1:20190609000723j:plain

町の小さな食堂で天ぷらそばを食べ、冷え切った体を温める。

雪道を慎重に運転し、高梁川に出てからはまた一路下っていく。そして総社からは山陽自動車道をぶっ飛ばしてあっという間に姫路に着いた。やはり車は便利だ。。

こうして学生時代最後の旅が終わったのだった。ほとんど無計画であまり下調べもせず、宿だけ決めてあとはただ思うがままに車を走らせた。別に大したことは何もしていないのだが、車の運転には慣れていない分、ルーティン化しつつある鉄道旅とはまた違った冒険気分を楽しめた。