休学中の記録

初めての韓国ソウル散策日記 2015

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ソウルにはじめて行ったのは2015年の夏で、北京の語学留学を終えて帰国する時、「日本に帰るなら途中ソウルを経由して帰ろう」と思い立ったのがきっかけだった。北京の語学学校で知り合った韓国人の友人がいて、その子が先に帰国する時に「是非ソウルに遊びにおいでよ」と言ってくれたのも後押ししてくれた。

僕が連絡を取ると、友人は「海外から友達が遊びに来てくれるのは初めて」と歓迎してくれて、自分の視点から一生懸命行程を考えてくれ、2泊3日の間色々な場所に連れて行ってくれた。今から考えると長い間付き合ってもらったのは図々しかったと思うけど、あの時案内してもらったおかけでソウルの街がすっかり好きになった。

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1日目夜はサムギョプサルを食べた。たくさん食べて既にお腹いっぱいだったのに、ホステルに帰る途中で見つけた大衆食堂が気になってしまった。そんな僕に気づいた友人が気を利かせてローカルなスンデ(순대)とトッポギ(떡볶이)を頼んでくれたのは良かったけれど、思ったより生臭くて食べきれなかったのをよく覚えている。

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ホステルに帰ってからコンビニで買ったマッコリを飲んでサッカーゲームをして遊んだ。

翌日からはバスと地下鉄を駆使してたくさんの場所を訪れた。真夏のソウルはとても蒸し暑かったけれど、友人は歩くのが好きな僕によく付き合ってくれた。

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この日訪れたのは景福宮青瓦台、北村、明洞、ソウルタワーなどだった。

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初めて訪れるソウルの街は現代的で洗練されていた。

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散歩の途中途中でおしゃれなカフェやアイスクリーム屋さん、スイーツ店に入ったりした。

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これは韓国の若者に大人気の雪氷(ソルビン、설빙 )で、味はよく覚えていないけれど、フワフワのかき氷ときな粉餅に練乳をかけて食べた気がする。その後日本にも進出した。

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そして昔ながらのアーケード商店街をそぞろ歩いた。友人は「これは飲んだ方が良い」と甘酒のようなドリンクを勧めてくれて、それが何たるかを一生懸命解説してくれた。当時はハングルも全く読めなかったし、一体どういう飲み物なのかよく理解できなかったのだが、帰国してから後でそれがシッケ(食醯、식혜)と呼ばれる発酵飲料であることを知った。

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坂道につけられた階段の雰囲気や、高台から見下ろす街並みもとても印象に残っている。ソウルは(後に訪れた釜山もだが)階段のある風景が多く、街が立体的で楽しかった。

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今思うと当時は疲れを知らなかった。コンビニで買ったいろんな可愛い清涼飲料で水分補給をしながら街を歩き回った。

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梨花洞のインスタ映えする(当時まだそこまでInstagramは流行っていなかったけれど)壁画アートの街並みで楽しく写真を撮りながらを歩いたのも思い出になった。

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日本統治時代の建物も時々さりげなく街中に残っていて、こちらは旧明治座の建物のようだ。旧朝鮮総督府が爆破された映像が頭に残っていたので、当時の建築はひとかた残らずなくなったのかと勝手な先入観を持っていたのだけれど、そんなことはなくて市内のあちこちにこういった建築が見られた。

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参鶏湯のお店。靴を脱いで韓屋に入って食べるのは一つの体験として面白かった。参鶏湯自体も良かったけれど、記憶に残っているのは食前酒の人参酒がおいしかったことだ。

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学生街に移動して最終日に食べたのはカムジャタン(甘藷湯 감자탕)で、ジャガイモと骨付き肉が豪快に入っていた。ポスターがいっぱい貼ってあってレトロな感じの店内は、自分が学生時代よく行っていた「家家家」というラーメン屋を思い出させてくれるものだった。

この時の思い出がもうすぐ4年半前になろうとしているなんて信じられない。自分としては数少ない、心を許して話せる相手だった友人ともいつしか連絡をやり取りする機会が減った。

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休学中には思い返すとたくさんの出会いがあって、その人たちを通して自分の世界がどんどん広がっていった。それが楽しかった。でも現地で毎日のように顔を合わせ、メッセージを交わし、一緒の生活リズムや一緒の空間を共にしていた日々が終わり、別々の生活を送るようになると、ふとあれだけ仲の良かった人が遠いものに、疎遠なものに感じるようになることがよくある。

そんな時、自分から積極的に連絡を取るだけの話題も勇気もなくて、いつの間にか連絡が途絶えるということが自分には結構あるように思う。そしてそのことを少し寂しいと思う。

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4年以上も前の記録を今更引っ張り出してきたのは、記憶が風化する前に、当時の記録を残しておこうと思ったからだ。元気で過ごしていると良いなぁと思う。