前回、台湾の地名の面白さについて少し紹介した。今回の記事では、本編の第一回として西洋と関わりのある台湾の地名をいくつか挙げていこうと思う。
西洋と関わりのある台湾の地名
欧州が大航海時代に入ると台湾近海にもポルトガルはじめ各国の船が行き交うようになる。そして17世紀前半になるとオランダが台湾南部、スペインが台湾北部に拠点を築いた。この頃オランダは既にジャワ島に進出しており、スペインもフィリピンに拠点を構えている。台湾はそこから見て中国への中継点に位置し、両国が中国貿易に本格的に参入する上で戦略的に重要な場所として浮上したのではないかと考えられる。
台湾には西洋人の足跡を今に残す地名がいくつか残っており、下記にそのうちの代表的なものを紹介していこう。
三貂角
台湾北東端に位置する岬。スペイン人が金鉱を求めて台湾北東部に上陸する際、故郷の地名に因んでSANTIAGOと呼んだのが由来で、のちに音訳され「三貂角」という表記になったという。1931年に建てられた白亜の灯台があり、有名な観光地になっている。
富貴角
台湾最北端の岬。「富貴」の部分はオランダ語のhoek(岬)の音訳であると言われている。「角」も中国語で岬の意味なので、「富貴角」を直訳すると岬岬になってしまうが、Todaiji Temple、Arakawa River みたいなものなのだろうか...
紅毛○○、烏鬼○○
「紅毛」は漢民族がオランダ人を呼称するときに使った言葉で、淡水の「紅毛城」、高雄の「紅毛港文化園区」などの観光地にその名前を残している。このほかに、「烏鬼」を名前に冠する地名・場所名(烏鬼橋、烏鬼埕、烏鬼渡)も昔はあったようだ。これはオランダ東インド会社がインドネシア等の南洋から台湾に連れてきた奴隷を漢民族が「烏鬼」と呼称していたことから来ているという。「紅毛」といい「烏鬼」いい、当時の漢民族の世界観を地名から窺い知ることができる。
美麗島站
高雄にあるメトロの駅の名前で、特徴的な外観や内部のステンドグラスアートなどで有名だ。駅名の「美麗島」はポルトガル語の「Ilha Formosa」の意訳で、16 世紀に台湾東部へ航行して来たポルトガル船の船員が、船上から見える鬱蒼とした森林と山岳を持つ台湾島の美しさに驚嘆して「Ilha Formosa(美しい島、麗しい島)」と呼んだことに由来しているという。台湾人自身も自分達の住む島への誇りをもって台湾島のことを「美麗島」と言い表すことが少なくない。
それではなぜ高雄のメトロ駅が美麗島の名前を持つようになったかというと、民主化運動の先駆けとなった1979年の「美麗島事件」が発生したのがこの地だからだそうだ。美麗島事件は1979年に雑誌「美麗島」が高雄で主催したデモ活動が国民党政府に弾圧され、主催者が投獄された事件だが、現在では民主化運動の先駆けとなったと評価されている(そしてこの事件の弁護団が今の民進党政権の中枢を占めている)。
西洋人による台湾の旧称がやがて台湾民主化運動の象徴となり、その名前が駅名として残されるようになったというのは興味深い。
※番外編:羅斯福路
台北市内にある大通りの名前で、通り沿いには多くの政府機関や国立台湾大学などの重要施設が立地している。戦後米国の経済援助のもとで建設され、第二次世界大戦を中華民国と共に戦ったアメリカ大統領ルーズベルトの名前を冠して命名された。英文名は「Roosevelt Road」で羅斯福はルーズベルトの音訳だ。
...さて、いかがだっただろうか。次回は原住民族の呼称に由来する地名を紹介していこうと思う。
参考文献
岩生成一(1938)「ゼーランディヤ城の圖について」『科学の臺灣』6(1/2), pp8-11