休学中の記録

初めての旅の思い出: 鞆の風景

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私が旅行に興味を持ち出したきっかけは中学3年の時の沖縄修学旅行でした。那覇の街中を流れるBEGINの曲の三線の音色や、バスの車窓から見た南部の赤瓦民家とシーサーの風景に強烈な印象を受け、社会科の先生に勧めてもらった牧志公設市場の色とりどりの魚に目を奪われました。

修学旅行の経験は当時の私にとってとても印象深いものでした。そして帰ってきてからは受験勉強の合間に、学習塾のすぐ前にあるショッピングモールの書店に入っては旅行書を読みふけるようになりました。はじめは沖縄本島、やがて慶良間諸島八重山などの離島の本に手を出すようになりました。

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この年(2008年)の夏には大台ヶ原を父と訪れ、それがきっかけで山にも興味を持つようになりました。そうすると地球の歩き方「スイス」や、北アルプスの写真集などにも手が伸びるようになりました。そのうちには沖縄やアルプスに止まらず、地理の授業プリントで学習してきた馴染みのある地名を旅行書のカバーで見つけると、片っ端から手を出す様になりました。

当時、学習塾の向かい側にあったショッピングセンターの中の書店は、オルゴール音楽が響き、あまり人もいない静かな心落ち着く空間でした。受験勉強の息抜きに、休憩時間があるたびに本屋で旅行書を立ち読みをしました。

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15歳の春、高校受験が終わってすぐの時期に、私は満を持して初めての旅行を計画しました。当時はちょうど大学に入った兄が青春18きっぷを使い出した頃でした。そこで、そんな便利な切符があるのなら、ローカル線で奈良の自宅から父の実家がある広島まで行ってみようと思い立ちました。そして、途中福山で下車して鞆の浦を訪れることまで計画して意気揚々と出発したのでした。

私は小さい頃から、お盆と正月、春休みの時期は家族で父の実家がある広島に帰省していました。その一環で、いつもとは違った形で小旅行を交えて広島に行ってみるのは、まだ中学を卒業したばかりの自分の冒険の一歩としてはうってつけでした。それに、収入が無かった当時、いつもは新幹線を使っている帰省ルートを青春18きっぷに代替することで浮いたお金で飲食や観光を楽しめるのは、私にとって魅力的な選択肢でもありました。

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さて、福山駅で途中下車して、バスに乗るとやがて車窓風景が海へと変わりました。バスを降り、潮の香りを感じながら細い路地を通り抜け、高台に出ると目の前には春爛漫の瀬戸内の風景が広がりました。

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庭に植えられた柑橘類の果実、菜の花、梅の花。そしてどこまでも穏やかな瀬戸内の海。そんな景色は受験勉強で疲れた心を癒してくれました。私は緊張しやすい方でメンタルも弱い方なので、当時受験勉強では随分苦労したのでした。

歩き終わって桟橋に座って行き交う船を眺めていると少しセンチメンタルな気分になりました。

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さて、広島の父の実家に着くと、祖父母と叔母が暖かく迎えてくれました。私は少し興奮しながらその日、鞆の浦でみた風景の美しさをみんなに語りました。そして、「今度来る時は呉線経由で来る。ローカル線の旅と瀬戸内海の多島美を楽しむんだ」という話をしました。すると、祖父が国鉄蒸気機関車の運転手時代の思い出話を聞かせてくれました。当時呉線を機関車で夜中に走ると、満月の光が海に映えてとても綺麗で、鼻歌を歌いながら進んだのだ、と、そんな思い出話でした。

当時、列車の運転手というものはそう簡単に務まるものではなかったのではないかと思います。マニュアルよりも経験がものを言う世界で、だからこそ列車の運転手であるということは、今にも増して誇らしいことだったのではないかと思います。私は瀬戸内の穏やかな夜の海に月光が降り注ぐ情景を頭に思い浮かべながら、思い出話に聞き入ったのを覚えています。

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私の旅は鞆の浦から始まりました。鞆の浦旅行の成功に味をしめた私は、次の帰省の時に尾道向島を訪問し、その後呉線に乗りました。そしてその次は錦川、その次は芸備線、またその次は山陰本線因美線伯備線、呉と松山、観音寺、丸亀...というように広島を拠点にして訪れる場所を増やしていきました。

こうして高校時代に中国四国地方を回ったのが自分の旅の原体験になりました。そして瀬戸内の穏やかな海辺の風景は、生まれ育った木津川や奈良盆地の風景と並んで自分の原風景として心に深く刻まれたように思います。私の世界を広げるきっかけになった広島・瀬戸内の風景には、関西に次ぐ第二の故郷として愛着を持っています。