休学中の記録

雨あがりにカタツムリを見に

息子に絵本の読み聞かせをするとき、カタツムリの絵がよく出てきます。そこで、私は「でんでん むしむし かたつむり」の童謡をよく歌ってあげます。

ところで1歳児というのは、同じことを何回も繰り返すことに異様な執着を示すものなのかもしれません。絵本のページをめくるごとに、何度もカタツムリを指差しては、私の方に手をたたいてカタツムリの歌をリクエストしてきます。そこで、私も馬鹿の一つ覚えのように、「でんでんむしむし」を繰り返し繰り返し歌います。

そんな日々を過ごしていると、やがて本当に自分がカタツムリの歌しか芸がない馬鹿になったような気がしてきます。でも確かに、よく考えてみると、私はカタツムリのことにつKいて、この歌以外に何一つ知らないのでした。

「そもそも歌詞に出てくる「つの」や「やり」ってなんなんだろう。」

「日本と台湾で見られるカタツムリの種は違うのだろうか。」

台北盆地の一帯ではどんなカタツムリが見られるのだろう」

普段は深く考えることのない、素朴な疑問が出てくるのでした。

雨上がりの台北の夕方

そこで、午後から雨が降った8月のある日、カタツムリの観察を目的に象山(台北101の裏山)の登山道を歩いてみることにしました。

本当は息子も連れていきたいのですが、行動範囲が制限されるので一人で行動します。妻に息子を預けて家を出ると、羽が生えたように身軽になって、どこへでも行けそうな気がします。

さて、期待していたカタツムリですが、登山道の周囲をよく観察していると2匹の台湾在来種のカタツムリを見つけることができました。普段は気にも留めない「つの」の動きをや殻の模様をまじまじと眺めていると、自分の中でのカタツムリのイメージが今までよりも具体的に、そして豊富になってくるのを感じます。

次に息子にカタツムリの歌を歌ってあげる時は、もっと楽しく歌えそうな気がしてきました。

スインホウマイマイNesiohelix swinhoei

クロイワオオケマイマイAegista mackensii

やがて登山道は真っ暗になりました。一度はやんだ雨がまたザーザーと降ってきて、全身を濡らします。普段山を歩く時なら雨具必携の天気ですが、今回は身一つで出てきたのであっという間にずぶ濡れになりました。でも、真夏の8月の暑い夕方、こうして雨に打たれていると身も心も洗われるようで、かえって気持ちの良いものです。

鼻歌を歌いながら、階段を駆け下りて下山しました。

息子との台北散歩の記録

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息子が歩けるようになってから、天気の良い日はよく散歩に連れていくようになりました。最寄りのバス停でバスに乗り、台北市内の各地の公園へ出かけています。

最近とみに乗り物にはまり出した息子は、特にバスが大好きで、バスが目に入るたびに指さして「GO!GO!」と叫びます*1。「GO!GO!」と興奮する息子の姿を微笑ましく眺めながら、いつもバスに乗りこみます。

さて、台北市内には緑豊かな公園がたくさんあります。その中でも特にありのままの自然に触れられる場所として、よく大安区の富陽自然生態公園に行きます。

公園に着くと入口にベビーカーを停め、木蔭の下の遊歩道を息子と手をつないで歩きます。中に一歩足を踏み入れると空気感が一変します。四方は鬱蒼とした緑に取り囲まれ、様々な蝉や鳥の鳴き声が響き渡ります。

ここは公園として整備される前、軍事用地(弾薬庫)として使われていたそうです。そして、そのためにかえって開発の手が及ばず、台北盆地一帯の原生的な自然が残されているのだそうです。

遊歩道を一緒に歩いていると様々な生き物に出会います。

蝶の姿が見えると、「ちょうちょう、ちょうちょう、なのはにとまれ~」と歌ってあげます。「ここで見られる蝶は、菜の花畑の蝶ではないんだけどな」と心の中で突っ込みつつ、「まぁ細かいことはいいか」と思って歌っています。

公園内ではクロアゲハやシロオビアゲハが目の前を横切ったり、タイワンミスジが頭上からひらひらと下りてきたり、オオルリモンアゲハが吸水していたりします。

亜熱帯の蝶は華麗で見ごたえがあって、私も童心にかえって楽しんでいます。

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湿地ではトンボがたくさん飛んでいて、今度は「とんぼのめがねは水色めがね~」と歌います。今の時期、この公園では水色のとんぼは見かけませんが、赤いオオハラビロトンボや、翅の光沢が芸術的なアカスジベッコウトンボなど、日本ではなかなか見られない種類のトンボがたくさん飛んでいます。

最近読んでいる絵本には、蝶やトンボがたくさん出てきます。今では、息子は絵本の中の蝶やトンボを見つけるたびに、毎回必ず指さして教えてくれるようになりました。そして手をたたいて歌を歌うよう繰り返しリクエストしてくるので、気が済むまで「ちょうちょう、ちょうちょう~」「とんぼのめがねは~」と何度も歌ってあげます。

そんな時間を何よりも幸せに感じます。

公園の話に戻りますが、少し急な石の階段(おそらく弾薬庫時代のものをそのまま活用したもの)を登ると、木蔭の道とはいえ息子も私も汗をたくさんかきます。登り終えて一息つくと、あたりは蝉の大合唱です。「あー、夏だなぁ」という気持ちに浸ります。

ジー....」と「シャンシャンシャンシャン....」と蝉の鳴き声を真似してみると、時々息子も一緒に真似してくれます。

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日本にいる時、蝉の合唱というものは極東の島国・日本に固有の夏の風物詩なのだろうと勝手に思っていました。でも台湾に来て、こちらでも梅雨明けにはたくさんの蝉が日本と同じ、いやもしかするとそれ以上の大音量で合唱することを知りました。

息子が毎日この世界を探索し、一生懸命色んなものを吸収しているのと同時に、私も息子のおかげで、また少し世界が広がっています。

多くの人がそうだと思いますが、私は自分が1歳の時の記憶は全くありません。

だから彼が大きくなった時、1歳の時に父親に連れられて台北の公園を散歩したことや、絵本を読んでもらったこと、歌を歌ってもらったことなどは、きっと忘却の彼方にあるに違いありません。

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でも仮に「取り出せる記憶」としては消えてしまうとしても、これから人生で、何らかの目に見えない支えとして残ってくれると良いなと思います。

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*1:私はよく息子に「バスに乗って出かけよう。GO!GO!」という歌を歌ってあげていたのですが、どうやらいつのまにか息子の中で「バス=GO!GO!」として認識するようになったようです。

息子が歩けるようになった日のこと

息子はハイハイが好きで、長い間、家中や公園中を這いずり回って遊ぶ期間が続きました。私はそんな息子と一緒に床や地面に這いつくばり、時には追いかけっこをし、時にはかくれんぼをして遊びました。

私に追いかけられて喜ぶ息子の笑い声が、家中に響きわたるのは何よりの幸せでした。

ただ活発に運動はしていたものの、1歳4ヶ月に近づこうとしても歩かないのは、親の心情としては少し不安でした。

そんな4月下旬のある日、息子がはじめての一歩を踏み出しました。自分で立ち上がったあと、妻のもとへ移動しようという気持ちから一歩目が出て、それをしっかり自分の足で支え、また二歩、三歩と前に進みました。

はじめて息子が歩いた姿を見て興奮した妻は、隣の部屋にいた私を大声で呼びました。

「走了!走了!さーちゃん!走了!」

私は妻からは「さーちゃん」と呼ばれていて、「走了!」というのは「歩いたよ!」という意味なのですが、つまり息子が歩き始めたその瞬間の興奮を、父親である私と共有してくれたのでした。

私は息子が歩き始めた瞬間は見られなかったので、嬉しく思う一方で妻ほどの興奮はありませんでした。ただ、息子が歩き始めたその瞬間を、妻が直感的に私と真っ先に共有したいと思ってくれたことを、何より嬉しく思いました。

さて、そんなはじめての一歩があってから、公園で何度か歩く練習を重ねました。五歩ほどしか歩けなかったのがやがて十歩、二十歩と増えていきました。私は息子がよちよちと歩く姿をカメラに収めながら、なぜか少し涙が出そうになりました。

やがて2~3週間もすると、息子は家の中を自由自在によちよち歩き回れるようになりました。

いつしかハイハイはほとんど卒業しました。今では車のおもちゃで遊ぶ時だけハイハイが復活しますが、またすぐに立ち上がって歩き始めます。

自分でめいっぱいに背伸びをして、ドアノブのレバーを下げて部屋を出入りしたり、蛇口の開け閉めができるようになったり、色んな動作が自分でできるようになってきました。

思えばまだハイハイしかできない頃、息子は本棚から気になった本を取り出し、一生懸命片手で持ちながらハイハイで私のもとに持ってきてくれていたものでした。そして本を私に手渡したあとには、私の膝の上に自ら「ちょこん」と座りにきていました。その様子はとてもかわいくて、いつも癒されていました。

ところが今では両手が自由になって、重たい図鑑でも何の苦労もなく私のもとに持ってこれるようになりました。膝の上に座らせようとしてもすぐに体をくねらせて自分で立ち上がり、また楽しそうに歩きはじめます。

そんな様子を見るたびに、成長が嬉しく、微笑ましく感じる一方で、「そうか、ハイハイはもう卒業したんだな」と、「ハイハイで追いかけっこをした日々は期間限定で、あの時間はもう戻ってこないんだな」と、少し感傷的な気分になります。

そして、子育てというのは、子どもの成長と同時にさまざまな段階を卒業していくことの繰り返しなんだな、ということに改めて気づかされます。

子育てにおけるそれぞれの段階は一度きりしかやってこない、期間限定のものだということに気づくと、なお一層、今、この時間を大事にしたいと思います。

自由になれた気がした嘉義駅

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2021年12月、妻の出産を前に束の間の自由時間をもらい、嘉義へ旅行した。台北駅を出発した自強号は、3時間半をかけて嘉義駅に到着した。1933年築の嘉義駅は、台湾鉄道の現役の駅舎として活躍している。その駅舎のホールを出て広場に出て、空を見上げると、熱帯特有のオレンジ色のグラデーションの夕焼け空が広がっていた。夕方の涼しい風が頬を撫で、それが絶妙に心地良い。あー、南の街にやってきたなぁという感慨がある。

「自由やなぁ...」としみじみ思った。そして嘉義の空気を深く吸い込んだ。私はこの日、ようやく3週間にもわたる隔離期間を終えたのだった。

日本を出てくる時、職場の人達には本当に申し訳ないのだけれど、自分の中では解放感に満ちた気分だった。思い通りにならないことが多い仕事からしばらく離れられるのだから。しかし予測はしていたのだが、台湾に来てみると隔離期間で一歩も外を出られない日々が続き、これから初めての育児を迎えるにあたっての不安も募り、日に日に気持ちが鬱屈していった。

だから、ようやく移動の自由を取り戻し、自分の時間をもらって嘉義に到着した時、私はこの自由が心の底から嬉しかった。そして駅前広場をひっきりなしに行き交う人やバイクの喧騒さえも、愛おしく感じたのであった。

しばらくすると、友人の父親がバイクで駅前まで迎えに来てくれた。私が後ろに座ると、バイクは涼しい風を切りながら熱帯の夕方の街を疾走した。

台湾の映画やテレビドラマには、よくバイクで街を走るシーンが出てくる。街の様々な色のライトが道路を照らし、その中を主人公と友人或いは恋人などがバイクで颯爽と駆け抜ける。私は自分がそんな映画の場面の一コマに入りこんだような感覚になって非常に気分が高まった。「自由こそ自分が追い求めていたものなんだなぁ」などと尾崎豊風の感想が、尾崎豊の言葉を借りるわけではなく自然と自分の心の中から湧き上がってきた。

....今日の深夜、なぜかこの駅への到着シーンをふと思い出した。大切な思い出なので、忘れないうちに記録しておくことにしよう。

2021年12月,我從臺北車站搭乘自强號列車,花了3小時半的時間,傍晚時刻抵達了嘉義車站。當我走出車站大廳時,天空被夕陽染成橙色的漸層,熱帶傍晚的微風輕輕吹拂著,讓我感到十分愜意。

終於自由了...!我在廣場深吸了一口氣。這一天,我終於完成了長達三個禮拜(14+7天)的隔離期間。三個禮拜前出發日本的時候,我心中充滿了幸福感。因爲終於可以擺脫日本職場所受的各種束縛。然而在台灣,我依然被疫情期間的嚴格限制所束縛,無法像以往一樣説走就走。

因此,那次來到嘉義,我深深珍惜了這份自由。我沉浸在人潮和車流的喧囂聲中,好好感受了這個熱帶城市的脈動。

過不久,朋友的爸爸特地來車站載我。我坐在機車的後座上,吹著舒服的涼風,眺望著川流不息的機車,真心體會到了自由是人生最珍貴的東西。

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駿河湾と冠雪の南アルプス

「海越しに3000m級の雪山を眺められる場所」と言えば、代表的なのは氷見漁港から富山湾越しに見る立山連峰でしょうか。

学生時代に通っていた銭湯には、北陸出身者が開業した縁なのか、壁絵にその富山湾の風景が描かれていました。熱いお湯に浸かりながら壁絵を見上げ、いつかはこの壮観な景色を見てみたいなぁと思ったものでした。

伊豆半島の大瀬崎から冠雪した南アルプスを望む。
聖岳赤石岳荒川岳塩見岳、白根三山と3,000mを超える山々が連なります。

その後、冬の時期に富山に行く機会は未だに作れていないのですが、期せずして同じような構図の景色を見つけたのは伊豆半島でした。

日本で一番深い湾と言われる(深いところで水深2,500mにも達するそうです)駿河湾をはさんで、真っ白に冠雪した富士山と長大な南アルプスの山々を望む景色は、氷見に劣らず見事なものでした。

そして冬の伊豆は空気が澄み晴天率も高く、駿河湾の透明度も夏と比べていっそう高まります。堤防に腰かけて、透き通った海を見下ろし、白い山々を遠く眺めていると心が洗われるようでした。

先日訪れたのは沼津の内浦地区、西浦地区から大瀬崎にかけてですが、この地区では静かな入り江に沿ってみかん畑が広がります。

まるで瀬戸内海を思わせるような温暖で穏やかな入り江ですが、ここから雪を被った高峰が一望できるので、そのコントラストがまた面白いところです。

道沿いには河津桜も咲いていました。

刺身定食のランチを食べ、直売所でいろいろな種類の柑橘を試食し、満足して帰途につきました。