92歳湾生の祖母が卒業生として台南の女学校の100年記念式典に臨みます(台南女中百年校慶)

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2015年11月底 長達兩個半月的台灣山岳之旅接近尾聲的時候 我走訪了台南。除了美食之外,訪問台南最大的理由是因為它是阿嬤的故鄉。

母方の祖母は今年92歳の湾生(台湾生まれの日本人)なのですが、この度、台南高級女子中学(旧台南第一高等女学校)の招待で、創立100周年記念式典に参加することになりました。

儘管自從「灣生回家」的電影在台灣公開上映之後, 「灣生」這個詞膾炙人口,但在戰後70多年的今天,對絕大多數的人來說親眼見到灣生的機會並不多。而我阿嬤出生於關廟,一直到18歲的時候都是在嘉義與台南度過的學生時代。雖然沒有待到1945年戰爭終結的那一年,但台灣就是她度過大部分青春時代的地方,所以她也稱得上是真正的灣生了。而且她還活在這世界,能夠陳述很多當時的故事。

同校には、日本統治時代に建てられた紅色の素敵な校舎がまだ残っています。

2年前、ふと思い立って学校を訪れてみたことがきっかけで、これまで学校との間に様々な交流がありました。

その際の経験はこちらの文章にも書きましたが、その後にも校長先生や後輩にあたる卒業生の人達が奈良の家を訪問してくださったり、祖母が病気をした時は励ましの手紙をもらったり、心温まる交流を今まで続けてきました。特に親切にしていただいた蕭先生には感謝したくてもしきれない思いです。

阿嬤在1943年,也就是日本二戰戰敗的兩年前,為了往東京求學離開了台灣。當時她隨身帶了一些東西去日本,相冊也是其中之一。如果是1945年二戰結束後才離開的台灣,她不一定有辦法把相冊帶到日本。因為那時候日本人可以隨身帶的行李件數嚴格的被限制。而且更幸運的是,因為她把相冊存放在福井縣的老家 而不在她求學的地方---遭到美軍大空襲被燒毀的東京,所以那本珍貴的相冊得以保留下來了。

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我去台灣之前,這本經歷70年滄桑歲月的相冊成為了一個線索。因為我發現撐過70年的舊相冊裡面的紅樓與現在官網的照片裡的紅樓一模一樣,才產生了訪問台南女中的念頭。那時候我沒有想很多,只覺得,在校園內拍拍照,回日本後把它給阿嬤看,她就應該會很開心吧。沒想到在學校會受到那麼熱心的歡迎,也根本想像不到會在蕭老師的協助下,當時阿嬤的成績單、全班合照、學校登山的照片等一一被挖掘出來。

有時候人與人相遇的緣分很奇妙,而我也十分珍惜這樣的緣分。我們與台南女中之間的交流也是這樣出乎意料地開始的。去年五月在教育旅行之際,校長也百忙中拜訪了奈良家的阿嬤,今年二月學妹們也特地來鼓勵生病之後的她,也邀請了她這12月來台南參加百年校慶。台南女中一直以來對阿嬤的關懷讓我們深受感動。

但僅管受到了邀請,其實阿嬤前陣子身體狀況並沒有好到可以出國。去年八月得了胃癌之後經過手術,那陣子真的吃不下東西,看似失去了活下去的動力,瘦到快要接近30公斤。家人好說歹說讓她吃多點東西(那時候真的像逗小孩一樣),也帶她散步養成曬陽光運動的習慣 。現在她乖乖吃東西 也會在家人的陪伴下,雖然柱著拐杖頻頻休息著,但也能夠走家裡附近的巷子走完一圈。對她來說,健康地參加百年校慶 也在很大程度上成為了每天為自己打氣加油的目標吧。

70年以上経って再度目にする母校の校舎が祖母の目にどう映るのかはわかりませんが、とりあえずは無事に行程をこなして帰れることを祈るばかりです。

僕も12月15日から久しぶりに台湾入りします。

我們為接下來的台南行心裡有著滿滿的期待。隔了70多年終於再會的母校,在她眼裡會是什麼模樣呢?

  • 関連報道など(相關文章) 
  • 現地報道(中華日報、聯合報

中華日報新聞網

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  • 校内風景

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この階段は当時、運動会の時などの記念撮影の時などによく使われた。現在は歩きやすいように中心部に新しく綺麗な階段が設けられているが、煉瓦作りの部分は当時のままである。後ろの建築の左側は日本統治時代からある旧棟、右側の新棟と渡り廊下はその後作られた。

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中庭。当時は学生が中庭の掃除をするのが日課だった。右側の建物は日本統治時代からそのままであり、左側の建物は新しい。

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 プール入口。昔は屋外の緑豊かな熱帯の木々に囲まれたプールであったが、現在は屋根付きになっている。石垣に当時の面影を残している。

  • 学校の付近の見どころなど

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1930年代のきな臭い時代に、尚武の精神を発揚するために作られた旧台南武徳殿(現在は小学校の講堂として使われている)。孔子廟のすぐ隣に位置しており、両建築間の対称は見ごたえがある。

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