休学中の記録

文系出身者の基本情報技術者試験の勉強方法について

文系出身でIT知識がゼロであることに社会人として危機意識を覚え、一念発起して基本情報技術者試験を受験してみることにした。思ったよりかなり苦労したのだが、2021年3月末に受験し、何とか合格することができた。以下に、個人的な学習経験とその感想を思いつくままに書いてみることにしよう。

午前問題

全体の内容を網羅するために、まずこちらの本を買って読み進めた。しかし初学者の私にとっては用語の説明が抽象的すぎてわかりにくかった。

そこで、わかりにくい用語については、「「分かりそう」で「分からない」でも「分かった」気になれるIT用語辞典」(https://wa3.i-3-i.info/)というウェブサイトを併用して学習を進めた。

あまり100%の理解を求めず、「意味不明だなー」と思ってもある程度は飛ばし読みする適当さも必要だと思った。特に「アルゴリズムとプログラミング」「データべース技術」などに関しては全く頭に入ってこなかったので、別途対策することにした。

一通り参考書を読んで全体像をつかんだ後は、すきま時間を使って、「基本情報技術者試験ドットコム」で午前問題の過去問を分野別に勉強した。解いているとある程度苦手分野がわかってくるが、その分野を繰り返し演習することでだんだん頭に入るようになってきた。

独学の場合、文字を追っているだけでは容易に疲れてしまう。そんな時、気分を変えて勉強するのにYoutubeの動画が役に立った。個人的なおすすめは「文系でもわかる!IT勉強会」というシリーズで、特に情報セキュリティやデータベースの正規化、アルゴリズムなどの部分の解説はわかりやすかった。

午後問題

午後問題は11問中5問選択だが、私にとっては情報セキュリティやネットワーク、プロジェクトマネジメント、システム戦略等の問題は比較的簡単で、午前問題の対策勉強を終えた時点で、少なくとも7割くらいは取れそうだった。

このため、プログラミング言語アルゴリズム、データベース等の分野を集中的に対策することにした。

データベース(SQL)については、Progateで基本を勉強した。Progateは基礎中の基礎から学習を開始でき、自分でコードを書きながら一歩一歩学習を進められるのでとても重宝した。試験対策という意味ではProgateの内容だけではまだ不十分かもしれないが、まずはこちらで学習を進めるとだいぶ苦手意識が取れる。

Progateを用いたSQLの学習が楽しかったので、続いてJavaなど応用性の高い言語を勉強してみたが、Progateを使っても難しくて途中で挫折しまった。そこで午後問題のプログラミングはJavaを諦めて表計算を選択することにした。

基本情報技術者 表計算 とっておきの解法

基本情報技術者 表計算 とっておきの解法

  • 作者:田嶋 益光
  • 発売日: 2018/05/19
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

プログラミングの経験が全くなかった私にとって、午後問題のプログラミング言語で一番とっつきやすいのは表計算だったので、こちらの本で対策した。この本は解説がとても丁寧で、一通り勉強すればかなりの問題は解けるようになった。

ただし、表計算は問題文が異様に長く、本当に精神をすり減らされる...。何とか試験前の段階で7割~8割くらいは取れそうな状況に持っていったが、時間と根気との勝負になった。

アルゴリズムは超苦手分野なので、取っ付きやすそうな本を買って勉強を進めた。試験日までに間に合わず6割くらいしか読了できなかったが、最低限の内容が頭に入ったので、試験で取りこぼすことはなかった。この本が伝えようとしている「アルゴリズムの面白さ」を感じられるところまではいかなかったが、また折を見て読み直してみようと思う。

――以上

 

初春の三浦半島の風景と食

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三浦半島が好きで、学生の時から数えるとこれまでに3回ほど訪れている。特に半島最南端の三崎周辺は開放的な風景が広がっていて、週末に日帰りサイクリングを楽しむには絶好の場所だ。そこで先週、晴天の週末を狙って輪行で自転車旅を楽しんだ。

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【回想】下関から青島、天津、そして北京へ

以下は2015年の日記に追記したもの。

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2015年春、大学4年を前にして休学して北京へ語学留学した。当時、学業も人間関係も色んなことがうまくいっておらず、日本にある全てを捨てる覚悟でバックパック一つで下関港から青島までの航路「オリエントフェリー」に乗り込んだ。関門海峡を出た船は夕陽を真正面に受けながら西へ西へ進んだ。

始めて中国に行った時も船で、2012年の夏、大阪港から上海まで「蘇州号」で48時間だった。船内では世界一周建築の旅に出かける学生や、上海に拠点を置く自由記者、日・中を渡り歩く商売人、留学生などたくさんの出会いがあり、たくさんの人と一緒に卓球を打ち、語り合った時間はとても濃密だった。3日目の朝に長江に入り、工業地帯を縫って黄色く濁った大河を遡るとやがて東方明珠塔と外灘のファサードに迎えられる到着シーンは感動的ですらあった。その時の旅が忘れられず、2015年も船で中国に行くことにしたのだった。

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上海入港シーン。東方明珠塔が見えてきた

けれども、下関から乗ったオリエントフェリーにはあまり活気が無かった。また、自分の心情としてもその時はあまり積極的な人との交流を欲していなかったので、余計に静かさを感じる船旅になってしまった。2日目の昼、ようやく船の甲板から中国大陸の陸地が見えた。無秩序なビルが経つ海岸の風景に落ち着かず、音楽を聴きながら甲板をせわしなく歩き回った。船は午後4時頃、ゆっくりと青島の港に入港した。

さて、青島からは北京に列車で移動しなければならない。北京に留学するのになぜわざわざ船と列車という面倒臭い方法をとるのかと訝しむ人も多いと思うが、上にも書いた通り思い出に引っ張られたのと、また陸路での移動に至上の価値を見出していた当時の私にとって、飛行機という選択肢はそもそも眼中になかった。今から考えると阿呆らしいが、オリエントフェリーは2021年現在運航されていないので、今では乗ろうと思っても乗れないのだし、当時の選択肢は結果的には間違っていなかったのかもしれない。

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今は無きオリエントフェリーの航路図。関門海峡を抜け、対馬済州島の沖合を航行して山東半島を目指す。

それはさておき青島から北京への移動だが、直通列車は高速鉄道(CRH)しかなかった。だが青島夕方発だと北京まで約5時間弱、深夜に着いてしまい、車中泊ができないのが問題だった。別途宿泊場所を探さないとないのは面倒臭いし、値段も高い。そこで、夜行快速列車で青島から天津まで行き、天津で列車を乗り換えて北京南駅に早朝着という計画を立てた。北京に早朝着なので大学の手続きのための時間はたっぷり取れるし、入寮手続きもできるはずだ。その上列車旅の醍醐味を味わえる。

ただ、着いてから無事に切符が買えるかということと、青島発の列車に間に合うかという問題があった。天津行きの夜行列車は18時40分に青島北駅発だ。フェリーは青島港に16時着なので2時間半の余裕があるが、入国手続きの時間を見ておく必要がある。それに、夜行列車が出発する青島北駅は市中心から異様に離れたところに建設された新駅で、交通アクセスも未だ整っていない。どうやって行くのかは着いてから現地の人に聞くしかない。おたおたしていると乗り遅れる。
 
 
...まぁでも何とかなるやろ、というのが当時の僕の楽天主義だった。いや、冷静に考えると自暴自棄になっていたのかもしれないが、当時の僕にはワンゲル部で培った変な痩せ我慢精神がまだ残っていた。
 

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しかし現実は甘くない。まず港に着いてから下船までの時間が長く、入国手続きなど色々終えたのは16時半を回っていた。小走りで港を出て、フェリーターミナル出口でたむろっていたお姉さん達に青島北駅までの行き方を尋ねてみるが、やはりわからないらしい。それなら公安に聞けば間違いないだろうと思ってターミナルを出る。すると出口で待機していた男に声をかけられる。
 
「どこに行くの?」
 「青島北駅!」
青島北駅?それなら100元で連れてくよ」
 
...高いので断ることにする。辺りを歩くが公安は遠いし、これ以上聞けそうな人がいない。目の前の道はバイクと車がひっきりなしに行き交い、そのスピードと鳴り響くクラクションの音は、僕の不安感を増幅させた。時刻は16時45分。時間が迫っている。仕方がないので、交通ハブの青島駅まで行ってから作戦を練ることにした。ちょうど青島駅行きのバスを見つけたので飛び乗った。

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青島駅の駅舎 <https://commons.wikimedia.org/wiki/File:%E9%9D%92%E5%B3%B6%E9%A7%85.jpg>, via Wikimedia Commons

駅には17時前に着いて、値段はたったの1元。駅前に降り立って、間髪入れずバスの系統を調べるために露店で市街地図を探す。おばちゃんに定価10元と書かれた地図を渡されるが、僕の経験上高い気がしたので渋っていると5元になった。次いで青島北駅へ行くバスを尋ねると325路に乗れば良いと教えてくれた。しかし同時に、列車出発まで1時間半しかないならバスでは絶対間に合わないとも忠告される。

 
どうせ今日は間に合わないからここのホテルに泊まっていきな。きれい快適80元、安いよ。」
「....」
 
笑顔で断りダメ元で325路のバスを探す。が、やっとの思いで見つけたバス停の看板で325路の停車先を見ても青島北駅の文字が見つからない。うーんどうなっているんだ......。いよいよ詰んだか...と思い始めた時に一人の青年に声をかけられる。
 
「どこに行くんだ?え?青島北駅?」
 「325路のバスに乗ると良いって聞いたんだけど...」
「列車は何時?1時間半後?タクシーじゃないと絶対に間に合わないよ!」
 「いやタクシーは高いから、、、さっき聞いたタクシーには100元って言われたし」
「俺なら安くできるよ!」
 「いくらになる?」
「50元!」
 
来た。50元なら許容できる。
喜びを隠して交渉を続ける。
 
 「うーん、40元ならどう?」
「いーや、無理だ!ほら、時間がない!早く俺についてこい!早く!」
 
足早に車へ誘導される。覚悟を決める。いかにも東北人といった感じの直接的な爽快な語り口は嫌いではない。
 
タクシーには既に1人乗客がいた。
 「2人ですか?彼も青島北駅に行くんですよね?」
「そうそう」
 
そうか、あと一人の乗客を探していたのなら、向こうにとっても渡りに船だったわけか。ま、それにしてもバタバタしたがとりあえず何とかなりそうだなぁ...と思って乗り込むと車が思ったよりもボロい。しかしこの際ツベコベ言っても仕方ない。車は発進からガタガタしているが、慣れればまぁ問題ないだろう。
 
...それにしてもこの運ちゃんは運転がうまかった。ギアチェンジを繰り返しながら絶妙なハンドルワークで四方八方から押し寄せる車の間をすり抜け、渋滞の中で生まれた隙間を見つけては、クラクョンを鳴らしながら割り込み倒す。やがて渋滞を抜けて4車線道路に出ると時速100キロを超えるスピードで3車線変更を繰り返し。さっきまで前を走っていた車があっという間に遥か後ろへと消えていく。
 
時速100キロを越えると聞いて侮ってはいけない。最新鋭の滑らかに走る車であれば何とも感じないだろうが、ボロ車に乗っている身にしてみると体感速度というか、下手するとタイヤがすっ飛んで車が空中分解するんじゃないのかというスリル感すらある。追い打ちをかけるようにここで携帯電話が鳴るも、運ちゃんはそれを受けつつハンドルとマニュアルレバーを華麗に片手で操作しながら追い越しを続ける。
 
途中で僕はシートベルトをしていなかったことに気づいたが、今更してもなぁと思ったので、この見知らぬ運ちゃんの痛快な運転に自分の全生命が預けられている快感に浸ることにした。真新しい高架道路をぶっ飛ばす車。地平線に沈むオレンジ色の夕日。アドレナリン全開の頭の中に L'Arc-en-CielのDriver's highが流れる。
 

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1時間弱で青島北駅に着いた。よくもまぁこんな辺鄙な場所に巨大な駅を作ってくれたものだと思うが、車を出ると夕焼けが綺麗で、心なしか市中心より空気が清々しいので得した気分だ。
 
さて、駅に入って切符売り場で「天津、快速列車、硬臥」を連呼するが硬臥は売り切れ。仕方ないので硬座98元。横になれないのは辛いが、目の前にテーブルのある側の席を確保できれば、まだしのげるのは経験上知っている。それにしても中国の駅についていつも思うことだが、どう考えてもこんなに天井を高くする必要はないだろう。
 
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ほどなく乗車が始まり、席を無事確保する。重い荷物を持って歩いたので疲れた。乗車後少し乗客と会話を交わし、弁当を食べ、すぐに寝た。列車は途中駅で何度もCRHに追い越されたり、時間調整のため停車したりしているようだった。そして朝5時頃に天津に着いた。天津では駅前の小吃街で包子と小米粥の朝食を摂り、切符売り場で北京行きの切符を入手。例に漏れず巨大な待合室で仮眠を取ってから、CRHに乗車する。...滑るように静かに走る列車と綺麗な車内。快速列車の硬座とは大違いな快適さで、一気に眠りに落ちた。しかし疲れを取る暇もなく30分強で北京南駅に着いた。
 
 

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北京に着くとガイドブックを手に早速街に出た。憧れの北京の街。春爛漫、というには早いが微かに春の匂いを感じる日だった。ここから新生活が始まった。中国にいてLINEもFacebookもつながらないことを良いことに、色んな雑音をシャットアウトして新しい生活を始めた。

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きのこの観察の魅力について

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最近、きのこの観察を始めました。きっかけは、昨年秋に上高地でたくさんのきのこを見かけたことで、図鑑で調べたりビジターセンターの職員の話を聞いたりしているうちに、いつの間にかその魅力に取りつかれていました。

まだまだ足を踏み入れたばかりで知らないことだらけなのですが、今回の記事ではきのこ観察初心者の目線で、簡単にその魅力を紹介したいと思います。

きのこ観察の魅力

きのこを通して森をより深く知ることができる

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コメツガ、シラビソ、ダケカンバ等で構成される北八ヶ岳の亜高山帯林。イグチ科のきのこが多くみられる。

森に生えてくるきのこの種類は、森林を構成する木の種類と大きな関係があります。

例えばナメコを採るならブナ林、ハナイグチはカラマツ林、ヤナギ(ケショウヤナギ)の木が多い上高地にはヌメリスギタケモドキが多い、といった形ですが、このように、きのこを理解するためには木/森を理解することが欠かせません。

きのこに興味を持って探すようになると、必然的に森林を構成する樹種や、森林帯に意識が向くようになります。また、木ときのこの共生関係をはじめ、きのこが森林の中で持つ役割を知ると、大きな自然の物質循環のイメージを持つことができて視野が広がります。

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東日本の多雪地帯に広く分布するブナ林。晩秋の森にはナメコやムキタケなどが多く見られる。

天気に関わらず観察が楽しめる

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きのこ観察の大きな魅力の一つは、全天候で楽しめることです。晴れた日ももちろん良いですが、雨露にしっとりと濡れたきのこは、光沢や透明感を持つようになって魅力的ですし、周りの苔などとも合わせてより生き生きと輝くようになるような気がします。

私は登山中にきのこを観察しているのですが、きのこ観察を目的に山に入ると、天気が多少悪くても良いかなぁという気持ちになって気が楽です。単調になりがちな下山中でも、きのこを探しながら歩くと、飽きずに歩き続けられます。

神出鬼没で興味深い

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きのこは地面や倒木などから突如としてニョキニョキと生えてきて、役割を終えると跡形なく消えていくという非常に神秘的な一面があると思います。

例えば、上の写真は林道の脇に生えていたヒトヨタケ属(Coprinopsis)のきのこですが、この種類は胞子が成熟するとひだが液化して、傘は溶けてなくなるという性質を持っています。実際、一番右の傘からは溶けたひだが垂れ下がってきているのが見てとれるのではないでしょうか。

このように神出鬼没なきのこの生態には興味が尽きません。

食が豊かになる/食文化を知ることができる

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多くの人にとってのきのこの魅力は、何といっても食料としての利用価値が高いことだと思います。私は食べることが大好きなので、自分の食生活の中に是非天然きのこを取り入れて楽しんでいきたいと思っています。

また、少し視野を広げてみると、きのこを通して各国の食文化の違いを知ることができるのも興味深いです。例えばナメコ、ハナイグチのようにぬめりの強いきのこは日本でとても人気ですが、欧州ではぬめりは嫌われやすいそうです。

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ぬめりの強いキノコを味噌汁にするととてもおいしい、というのは極めて日本人的感覚なのかもしれない。食文化の違いによって異なるきのこが好まれ、欧州で人気なポルチーニ、トリュフといったきのこは、伝統的な日本料理では利用されてこなかった。

更に少し視点を変えて、名称の違いに着目するのも面白いかもしれません。例えば、中国語ではポルチーニのことを「牛肝菌」、アミガサダケのことを「羊肚菌」と呼称しています。誰が中国語名を命名したのかはわかりませんが、キノコの外観から「牛肝」「羊肚」といった食用肉の内臓が連想され、命名されているという事実は、中華圏の食文化を強く反映しているように思われます。

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フランス料理によく登場するアミガサタケは、中国語では「羊肚菌」と呼ばれる。日本人には羊のモツを食べる習慣はないのでイメージしにくいが、「羊肚」 を画像検索してみると外観が確かにアミガサタケと似ていて面白い。

国外に目を向けなくても、国内のきのこ利用の地域差に着目するのも興味深いです。他の地域の人にはあまり馴染みがなくても、ある特定の地域で広く食用として採取されている、いわば「ご当地きのこ」と呼べるようなものが全国にあるようです。*1

旅行する際には、ご当地きのこに着目して、機会があれば味わってみるのも楽しいのではないかと思います。

さて、次回はこれまで私が観察してきたきのこを紹介していこうと思います。

*1:代表的なものとしては栃木県で人気の「チチタケ」や、千葉県で人気の「アミタケ」などが挙げられるようです。