聖稜線とは雪山(3886m)から大覇尖山(3492m)まで続く稜線を指す。雪山は山頂部に大きな圏谷地形を持つ台湾第二の高峰であり、大覇尖山は「世紀の奇峰」と呼ばれる四面全てが絶壁で構成された尖峰で500台湾ドル紙幣の図案にもなっている(ちなみに1000台湾ドルは台湾最高峰の玉山)。
「聖稜線」の名は、1928年、当時台湾山岳会総幹事であった沼井鉄太郎という日本人が大覇尖山に登頂した際、その天を突くかの如く聳える稜線を見て「この神聖なる稜線よ・・・」と感嘆の声をあげたことに由来する。現在では台湾岳人憧れのルートである。
今回は伝統的な登山路である東南の尾根から志佳陽山を経由して雪山を登り、そこから布秀蘭山まで聖稜線を辿ったのち、大覇尖山には向かわず東へ品田山などの「武稜四秀」と呼ばれる山々を踏んで下山した(現地では一般にO聖と呼ばれるルートである)。
概念図(画像来源:鹿野忠雄(1934) 臺灣次高山彙に於ける氷河地形研究(第1報) 地理学評論10:607) (※)論文はJstageのオープンアクセスで参照可能
今回のルートを概念図に表された当時の呼称を基に表すと、はシカヤウ社(環山部落)から次高山主峯(雪山主峰)北峰(北稜角)タラクシャ山(雪山北峰)ボチンシロン山(品田山)タマラップ山(池有山)から桃山を経て下山したことになる。
(追記)ただし以下の資料に記載されている山名は上の概念図の物とはかなり異なっている上、こちらの方が現在の呼称に近い。初期にこの山域に足跡をつけた鹿野の頃はまだ踏査した者が少なく、正確度に欠けていたのかもしれない。
http://collections.culture.tw/nmth_collectionsweb/AAA/collections_Hot_browse.aspx?RNO=2001.008.0081.0118
- 5月4日
氣喘吁吁陡上馬武霸山和志佳陽山,一路都沒有水源,超級渴到沒有胃口,肚子咕嚕咕嚕的叫聲讓我發現原來很餓,可是也仍然吃不下餅乾。此時我才知道孔雀餅乾原來是這麼可怕的食物。直到雪山南峰下的溪溝裡找到乾淨的水池,我才鬆了一口氣。
出発点は環山部落(日本統治時代名:シカヤウ社)。そこから馬武覇山、志佳陽山を経由しながら標高差1700mを上がって行く。喉がからからに乾いているせいで何も食べる気がおきないが、体は正直なので次第に力が入らなくなる。終いには腹がゴロゴロと音を立て出すように至ってようやく意を決して行動食のビスケットを取り出すも、唾液が不足しているのでなかなか飲み込めない。無理やり一気に飲み込もうとすると嘔吐を催すので、ゆっくりと咀嚼してゆっくりと飲み込む。こうして我慢しながら標高を稼いだ。
登山路沿いには草生地となっていて展望の良い場所が多い。日本統治時代の記録によると、こういった草地は現地タイヤル族の焼き畑によって形成されたものが多いようだ。
- 5月5日
阿里山龍膽 Gentiana arisanensis アリサンリンドウ
自花受粉を避けるため、雄蕊の葯が雌蕊を覆い隠すように先に成熟する(手前3つの花参照)。やがて花粉を散布し終えると、葯が外側へ散開し雌蕊(奥から2つ目の花の中心の白い部分)が露出するようになる。
玉山櫻草 primula miyabeana ニイタカクリンソウ
第二次登上霧濛濛的雪山山頂,幸好一陣風過了之後視野變得良好。看著載有殘雪名符其實的雪山,我就知道為什麼不少台灣山友說最喜歡這座山。
長い長い登りを経て雪山山頂に着いた。雪山主峰に登頂したのは2回目である(1回目は西南稜から単独行)。山頂はまたしても霧の中だったが、北稜角との鞍部に降りた時に俄かに霧が晴れ、圏谷に残雪をまとった美しい雪山が姿を現した。堂々とした山容は、北岳から眺めた間ノ岳を彷彿とさせる。
北稜角へ登る。
雪山主峰到北峰的高山瘦稜上碰到閃電,想起來2年前在日本上越山地的雷陣雨(因為上越山地南邊有遼闊的關東平原,夏天午後的升溫很容易產生強大的上升氣流,如果剛好有南風把它搬過山上來,就會導致雷陣雨)。當時,原來在遠方稍響的雷聲一下子變得越來越大,領隊叫大家趕快離開稜線蹲坐下來避免感電,那是一場恐怖經驗。這次聖稜線太瘦了沒地方逃避,而且氣溫越來越下降還開始下冰雹,考慮失溫的風險在內還是沒辦法停下來,只好繼續走。然後差不多在3K處天黑,開始看不清前方的路況。那天要住的雪北山屋位於4K處。開著頭燈,路上一直數著3.2、3.3、3.4⋯難以忘記終於在一片黑暗中看到山屋的橘色燈光閃爍時的放心。
主峰に着いたのは午後3時半頃。そこから北峰に向かうが、やがて雷と霰を伴った夕立がやってきた。主稜線を歩いている時に雷が近づいてくるのは非常に恐ろしいことである。稜線はあまりにも切り立っているので両側斜面に避難することすらできないし、後ろを歩く彼女は異様に寒そうにしているから低体温の危険を考えると歩き続ける方がいい。この時点で、進退判断に異議を唱えなかったことを後悔しはじめたがもう遅い。主峰に着いた時点で翠池に降りて一泊することに決めるべきだった。
やがて追い打ちをかけるように日が落ちた。ヘッドライトを点けて足下を照らしながら慎重に慎重に進む。崖に出て「あ、これは道ではない」となって軌道修正すること1,2回。
最後に天気が好転したのは救いだった。前方の山が星空の微かな明かりの中に浮かびあがり、ちょっとした安堵も覚えながらそれでも気を抜かずに歩き続けた。
そして暗闇の中に小屋の位置を示すオレンジ色のライトがチカチカしているのを見た時、ようやく大きな息をついた。
- 5月6日
玉山圓柏 Juniperus squamata ニイタカビャクシン
標高3000m以上の台湾で最も高所に分布する樹木である。
隔天,站在展望無比好的雪山北峰,似乎乘著風遊蕩在藍天邊。看著綿延的山巒在台中、苗栗和新竹到盡頭,客家料理的味道、北得拉慢的楓葉、馬那邦山的展望⋯去年秋天去台灣各處走走的這些那些回憶浮現了出來。
前夜の風雨に空気が洗われたのだろう、とても天気の良い一日がやってきた。ニイタカビャクシンの林を抜け、大展望の雪山北峰(3703m)に辿り着くと、南には1号カール、2号カールを抱いた雪山主峰と北稜角が大きく羽を広げており、視線を西に転ずると遥か遠く山並みが果てるところに台中・苗里・新竹の街がうっすらと見えた。
玉山杜鵑 Rhododendron pseudochrysanthum ニイタカシャクナゲ
雪山北峰から穆特勒布山を巻いて素密達山へ向かう。台湾の高山で最も恐ろしいのはガレ場だと思う。大小の浮き石が非常に多く、自分の足場は勿論のこと、前方からの落石に常に注意を払わながら進まなくてはいけない。僕は怖いから自分で持ってきたヘルメットを被る。他の人達にも本当は被って欲しい。
台灣冷杉 Abies kawakamii ニイタカトドマツ
主に標高2800~3300mに生長する。台湾高山の樹林は高い方からニイタカビャクシン→ニイタカトドマツ→タイワンツガ→ニイタカトウヒの順番で分布する。学名のkawakamiiは台湾総督府に勤務し、植物調査に大きな功績を残した川上瀧彌の苗字から取られたものである。
取っ掛かりが非常に難しくて恐ろしい素密達断崖を登り終えると目の前には穆特勒布山(3626m)。
雲がやってきては退き、湧いたと思うと切れ間から太陽を覗かせる。千変万化というのはまさにこのこと。
今日の宿泊地、布秀蘭山(3438m)から夕照に染まる山並み。
前方にはちょっと信じたくないような山容を見せる品田山(3524m)。明日は断崖を越えてあの山に登るのかと思うと、緊張感を覚えずにはいられない。元々4人の隊だが、明日は大覇尖山方面へ向かう2人を分けるので僕達2人でこの山を攻略しなければいけない。一人で行くならまだ良いけれど、彼女もいるとなると不安が一気に増す。なかなか眠れない夜になった。
雪北之後的行程除了要爬上斷崖之外比較輕鬆。杜鵑的花朵一路上為景色增添色彩。在晚霞中的大小霸、在布秀蘭營地抬頭仰看的滿天星星都使我很感動。可是你們也可以在危險的路段戴安全帽,然後也可以將自身固定確保安全(self-belay)。我這麼說也許是因為我膽子太小,可是覺得爬岩稜還是要過度小心才是對喔。
- 5月7日
今日も清々しい朝。今まで歩いてきた山並みを振り返ると充実感がある。左側には圏谷にその名の通り残雪を纏った雪山から稜線が穏やかに雪山北峰まで続いており、一旦落ち込んだ後に穆特勒布山、素密達山の断崖がそれぞれ大小の正三角形を型取っている。シャクナゲは最盛期には早いが、可憐な桃色の花は、とかく岩の灰色と森や茅戸の緑色のみで構成されがちな台湾の山の風景に貴重な色彩を加えている。
いよいよ品田断崖を登る。3段に及ぶ品田断崖のうち、最も難度が高いのは2段目。残置ロープが何本かあるが、一番新しいものを選んで、120スリングで簡易ハーネスを作ってプルージックで保険を取りながら登った。
聖稜線は全体的に残置ロープが多すぎるし、それぞれが交錯していて扱いづらい。そして時にはこんな支点で大丈夫だろうかと思わざるをえないものも混じっている。一つ支点が確実なものを残して残りは撤去した方が良いようにも思う。
あっけなく着いた品田山山頂にて。背景にトルコ帽のような形の大覇尖山。
張りつめていた緊張感が解け、あとは2人でゆっくり歩く。景色が綺麗な場所、着く山頂や小屋ごとに記念写真を撮ったりしながら。そして晩飯は台湾の火鍋。彼女が山の上で作ってくれた料理はもう少し薄味の方がよかった。でもおいしかった。
你煮的菜雖然往往偏鹹,可是各種調味料與食材準備的很貼心,每天吃到很飽讓我有力氣走下去。
- 5月8日
桃山山頂より暁色の雪山東稜~雪山~雪山北峰の稜線
桃山より南湖大山の日の出。
山頂でまた記念写真をたくさん撮った後、高速で下山した。登山道は最後に七家灣溪を渡る。この渓流は櫻花鈎吻鮭と呼ばれる北半球のサケ科魚類で最も南に位置するマスの生息地となっている。このマスは日本統治時代は次高鱒と呼ばれており、度々記録に登場する。亜熱帯の島に氷河期を生き抜いた陸封性のマスが棲息するという事実は当時の学術界にかなりの驚きを持って受け止められたようである。
登山口からはヒッチハイクで武稜農場に着き、そこからはバスに乗る。降りてくると宜蘭の街は30度を超そうかという灼熱の中。やっぱり台湾の夏は高山にかぎる。
手牽手一步兩步三步四步往前走,在每個山頭拍合照,我覺著身心溫暖想,下次要帶你去日本哪裡爬山。
下山後のご褒美は肉羹と肉巻。
- 参考文献