ニュージーランド最後の山行。今考えれば、もう少し趣が異なり植物相も豊かなWest Coast側の山を歩けば良かったのかもしれないと思うがそれは仕方がない。今回はRaspberry CreekからCascade Saddleのクラシックルートを歩いた後、Rees SaddleからSnowy creekを遡行し、源頭部に達する前に左岸の尾根に取りついて1950m鞍部に達し、急斜面をトラバースしてPt1896とPt1865の間で鞍部で尾根を乗越し、岩と藪の稜線を下降して地すべりによって形成された堰止湖Lochnagarに着いた後はLake Creekの谷を下降、Shotover River本流に合流した後これを遡行してShotover Saddleまで詰め、再び急斜面を下降してMatukituki RIverまで降り立ち出発点のRaspberry Creekに戻ってくるという長大なルートを歩いた。
Snowy Creek、1950鞍部、Lochnagarの地図。更に広域の地図はView Larger Topographoc Mapをクリック。
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2月29日
Raspberry Creek~Aspiring Hut手前の木の下▲1
いつものようにヒッチハイクで登山口まで向かおうとするが、今回はまるでつかまらない。そしてうまく行かない時はとことんうまく行かないものである。手に持っていたiphoneをアスファルトに落としてしまい、粉々に割れてしまったタッチスクリーンを目にした時、「もう・・・帰ろう。」という気分になった。不意にMr.Childrenの「未来」を思い出して、あぁこれは正に自分のことを歌っているんだと妙に納得した。
そんな時、歌詞にもある通り、折良く車が通りかかり「乗せてあげる」と言ったので、僕は感謝を告げて車に乗り込んだ。
Raspberry Creekからの道は牧場を横に見ながら進む。Aspiring Hut まで道は非常によく整備されていて、マウンテンバイクで通る人がいるほどである。
Rob Roy Glacier。Wanakaの町から日帰りハイキングの場所として有名なトレイルが氷河の下まで続いている。
時間が遅いので、辺りが暗くなった頃、大きな木の下で適当に寝た。
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3月1日
▲1~Cascade Saddle~Dart Hut~Rees Saddle~Snowy Creek渓底▲2
ナンキョクブナ林に入ると、小さな可愛らしい鳥たちが地面をせわしなく動き回っている。高山の岩山の上を悠々と飛び回るKeaとは対照的だが、その分カメラに収めるのが難しい。
Petroica macrocephala ssp. macrocephala
Xenicus gilviventris
そして森林限界を越えた。
Keaと背後にDart Glacier源流部の山並み。
Cascade Creekを渡る。Aspiring HutやDart Hutで一晩過ごすより、河畔にテントを張った方が遥かに美しい夢を結ぶことができるように思う。
Cascade Saddleからの展望。左側に雪を被ったドーム状の山はPlunket Dome(2191m)。奥には主峰Mt.Aspiring(3033m)からMt.Avalanche(2606m)へと続く山並みが聳えている。
Dart Glacier に降り立つ。
Rees Saddleにたどり着いたときはもう日が暮れていた。急下降する気温に肌寒さを感じながら、眼下のSnowy Creekまでの急斜面を慎重に下りた。
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3月2日
▲2~1950鞍部~Pine Creek~Lochnagar Hut▲3
朝、テントが少し凍り付いていた。考えてみると、もう3月なのである。太陽が恋しい季節になった。
やがて正面の山から太陽が上がったので、大きく手を広げてひんやりとした空気を思いっきり深呼吸した。
やがてSnowy Creekの谷間全体に日が差し込んで行く。
突如、向かいから老年の夫婦が颯爽とザックを背負ってやってきて驚かされた。何でも、この先の急斜面を目の前にして今の自分たちでは登れないと判断して戻ってきたらしい。人は年を取ると共に、佇まいというか独特のオーラを纏うようになると思うが、彼らはその点非常に格好良い夫婦だった。
彼らが言っていた急斜面というのがこれである。Snowy Creekの谷から1950鞍部に辿りつくためには、左岸(写真右側)の草付の急斜面を直登しなければならない。
息を切らしながら急斜面と格闘すると、やがて勾配が緩やかになり、礫地にはGentianaがまとまってポツポツと群落を作りながら咲いていた。
Mt.Tyndall(2496m)とTyndall Glacier。
1950コルに到着し、ピーカンの空の下でラーメンを食べた。
1950鞍部付近にはいかなる植生も生存を許されていない。
Pine Creekの源頭部。
Pine Creekの源頭部から、写真中央のPt1896と左のPt1865の間の鞍部まで急斜面をトラバースしなければならない。遠くから見ると思わず身震いしてしまう。雨が降っていたら絶対に通りたくないルートだが、幸運にも今日は天気が良いので前進を決める。
斜面の途中で「ここしか通れない」という危険箇所にかなり新しい大便とティッシュペーパーが散乱しており、僕は落とし主を激しく呪った。
やっとのことで鞍部を越えると眼下にLochnagarが見えた。
左側の切れ落ちている斜面が地すべり面。右側の岩屑の塊は元々この斜面の上に存在したが、斜面と平行にずれ落ちて谷を塞ぎ、堰止湖のLochnagarを形成した。
Lochnagar Hut。風化した塗装と、素朴な石積みの上に据えられた煙突が良い味を出している。
やがて凪がやってき湖岸の山々が湖に映りこんだ。欧米人に倣って湖で泳ごうと思ったが、足をつけた瞬間に諦めた。彼らはどうしてあんなに冷たい水に耐えられるのだろうといつも疑問に思う。それとも僕があまりにも根性無しなだけなのだろうか。
小屋ノートをペラペラと眺めるとアメリカ人が多かったような気がする。彼らは冒険スピリットに満ちているから世界の色んな場所に足跡を残しているはずである。
外は風が出始めたが、小屋の中はとても暖かい。やがて快適な眠りが訪れた。
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3月3日
▲3~Lake Creek下降~Shotover River遡行~Tummel Burn Hut~Shotover Saddle▲4
インスタントコーヒーを沸かしながら朝の湖畔の風景を楽しんだ。
Lochnagarの美しい景色を目に収めて出発。
三角形のピラミダルな形の岩峰がそっくりそのまま斜面に沿って崩落して来ている様が見て取れる。
大きな岩が無数に転がる斜面。岩と岩の間に生えているのは沢山のSpeargrassである。Speargrassの葉に足を刺されながら斜面を下る。途中で歩きやすい道を見失うとそこからが更に悲惨だった。
Matagouri (Discaria toumatou)
刺だらけの植物。一体何から身を守ろうとしているのか理解に苦しむほど刺が多い。道に迷って藪を漕いでいる時、辺り一面のMatagouriの藪に出くわす絶望を想像してみて欲しい。
SpeargrassとMatagouriの悪夢のような藪の斜面に傷だらけになりながら下降していると、藪の下に小沢が見つかったのでそれに沿って下った。沢沿いは植生が煩くない。そしてやがて正規の道に合流した。
対岸に渡るためには、このワイヤーに取り付けられた小さな木の渡しに乗るしかない。そもそもどういう原理で渡れるのか一見するとわからなかったが、乗ってみると案外楽に渡れた。
Tummel Burn Hut
Tummel Burn Hutからの行程は疲れた体に非常に堪えた。
どこまでも続く藪の斜面は全くもって終わりが見えない。弱点を探しながら行っても何度となく強靭な藪に跳ね返される。かなり急で滑りやすい斜面も、ただ藪が少ないという理由だけで危険を冒して登った。冷静さを少し失ってしまった。
ようやく藪を切り抜けるとあとは延々とトラバース。日の入りと同時にShotover saddleにたどり着き、テントを張る気力もないまま簡単に飯を作って岩陰で横になった。途中で雨がポツポツ降り出したのでそれからはフライシートを被って寝た。
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3月4日
▲4~Raspberry Creek
朝起きると、天気は思ったよりも悪くなかった。
懐かしいMatukitukiの谷を見下ろすと、ようやく帰ってきたんだという達成感に満たされる。
下山しヒッチハイクすると面白い人がいるもので、一緒にワナカ近郊のキャンプ場で泊まった。火を囲みながらお酒を飲み、お互いの人生について語り合った。僕は休学が終わった後の一年について決意を表明した。こうしてニュージーランドの旅は終わった。
- 終わりに
こうして振り返ってみると、ニュージーランドの山行記録は驚くほどに淡々としているなぁと思わされる。台湾であまりにも多くの人に助けてもらった反動で、ニュージーランドでは僕はできるだけ自分の力で山に登ろうとした。しかし一人になればなるほど、周囲の事物に対して知的好奇心を持つきっかけというものを失ってしまうことは免れえず、結果として「ただ山に行って帰ってくる」という以上のものしか得られなくなったのは心残りである。そしてそれに耐えられなくなった結果、帰国を10日間早めることになった。あと10日間あればもう一度山に行けたであろうにも関わらず、である。そしてその10日間早める選択の背中を押したのが、ちょうどその時期にワンゲルの追い出しコンパがあったことである。曲がりなりにも副将を務め、人間関係に苦労しながらも中心的メンバーとして頑張った部活に、いつまでも背を向けたまま卒部すると一生心残りになってしまうような気がしたのである。
ニュージーランドの山深く入り込み、貴重な山行記録を残せたことは素直に嬉しいと思う。けれど僕が今、求めているものはそれではなかったいうことを身を持って知っただけ、収穫があったと言えるだろう。