2013年の春休み、1ヶ月かけてインドの東半分を周遊した記録。10代最後の自由を謳歌していた当時の僕が書いた旅行記に加筆したものである。
中国西南部編はこちら
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チェンナイ
「観光地の多い北インドは何かと金目当てのぼったくりが多くてうんざりするけれど、南インドは人情味があって良い。」
そんなことを言う人たちが多い。僕は結局南インドはチェンナイくらいしか滞在していないから、それがどの程度信憑性を持つのかよくわからない。それよりも、より目に見えて異なるのは食事と、それからタミル文字で書かれた新聞だった。
バナナの葉がひらりと置かれ、そこに次々と盛られるカレーと
皮がサクサクでお腹いっぱい食べられるマサラドーサが美味しかった。
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ハンピ
バスが内陸に入るにつれて環境はどんどん過酷になっていく。空には雲一つなく、ジリジリと太陽が照りつけ、大地は乾ききって生気を失い、道路には砂埃が舞う。けれども、環境が過酷になるに連れて風景がさらに輝きを増すのもまた事実なのだ。町には頭に花の飾り物をつけた牛車が闊歩し、女性のサリーの色も驚くほど鮮やかになって強烈な太陽光線に映える。途中途中に通り過ぎる町の、このような過酷さと同居した美しさには胸を打たれる。
バスは下校中の学生で賑わうホスペットの町を過ぎ、バナナ畑と椰子の木に挟まれた一本道に出た。一本道はカーブを繰り返しながらやがて町の手前の高台に差し掛かった。そして峠を越えると眼下には壮大な遺跡群が夕日に照らされていた。その景色に思わず息を飲んだ。
遺跡群は朝や夕方の光に包まれる時が一番綺麗である。昼は太陽光線が強すぎて長居できない。
普段生きていれば絶対にすれ違うことのない人達と一瞬だけ同じ空間・時間を共有し、また去っていく。
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バーダーミ
バーダーミという町は池なしには語れない。それだけ池が美しい。そして写真の女性もどこか妖艶な美しさを持っていた。
5世紀には築造されたという四方1kmの池の畔は階段状のガートになっていて、そこで女性達が朝早くから色鮮やかなサリーを洗濯している。周囲にはバチン!バチン!という音がこだます。洗った衣類を乾かすため、地面に何度も叩き付けるのである。
どこまでも続く白壁の街並み。
池は、「インド楯状地」の名にし負う垂直に切り立ったテーブルマウンテンに三方を囲まれている。無理やり崖をよじ登ってテーブルの上に辿り着いた時の景色は一級品である。遥か下の街で人々が朝の活動を開始しているのが手に取るようにわかった。
- ビジャープル
インドは多民族・多宗教国家である。僕が通った中部のビジャープル、ハイデラバードといった街はムスリムが多く、街には大きなモスクがあった。
朝早い時間帯のモスクはひっそりとしている。しかし礼拝の時間ともなると数百人数千人規模の人間がどこからともなく集まってきて一斉に敬虔な祈りを捧げる。モスクが凄いなぁと思うのは、普段の静けさと礼拝時の熱気のコントラスト。そこに信仰の力を感じる。
非常に濃厚なさとうきびジュースと
ビリヤニが美味しかった。
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バラナシ
インドと言えばバラナシ。混沌のインドを象徴する街角と雑踏。
バラナシという町は驚くべき町で、死体を燃やした灰(時には燃やさずそのままの死体。例えば人生を超越したサドゥーや、人生を全うしていない子供は石をくくりつけて沈める。)を流しているすぐ横のガートで人々が河の水で洗濯、皿洗いを営み、(おそらく)同じ川でとれたと思われる魚が町の魚市場に並び活況を呈する。
火葬場には死体を燃やすために使われる薪がたくさん積み上げられており、白やオレンジの布に包まれた死体が周辺の路地を経由して「ラーンナームシャッティヤヘー」という(ように聞こえる)呪文と共に運び込まれる。聞いたところによるとラーンというのは「神」の意らしいのだが、他の部分の意味は自分にはわからない。
朝は沐浴の時間。僕はガンガーを望む高台に立ってその全貌を目に収めた。
滔々と流れる悠久のガンガーの流れ。次々と沐浴する人々の波。サリーの色彩。正面から昇る朝日。どこからか聞こえてくる鐘と太鼓の音。ボートのエンジン音と人々のざわめきのハーモニー。・・・・時が流れるのを忘れてずっと眺めていた。
そして眺めに満足すると自分も沐浴の人波に加わった。日の出の光を正面に受け、ただ無心で水に浸り、自分でもよくわからない何物かに向かって手を合わせた。河から上がり、すっかり高くなった太陽の光を浴び、冷え切った体を乾かしながら、「とりあえずやることはやったんだ」という満足感と、「冷静に考えて俺は何をやっているんだろう」という虚無感の入り混じったような訳の分からない快感にしばらく浸った。
豪華なスペシャルタ―リーと
ラッシーが美味しかった。
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チェラプンジ
バラナシからThe Northeast Expressに乗り込んでインド北東部にやってきた。
バングラデシュと国境を接する高原に位置するメガラヤ州のチェラプンジの町は、ベンガルの平原から数百mそそり立つ絶壁の上にある。絶壁も凄いが、更に凄いのはその気候だ。
インド洋からの湿潤な南西季節風が、最初にぶつかるのはこのチェラプンジの絶壁なのである。となるとここで強制的に生じさせられた上昇気流は大量の雲と降雨をもたらすことになる。その結果が年間降水量26,471mm(1861年)という驚くべきギネス記録である。冷静に考えてこの数字は規格外である。26471を365で割って単純に日降水量を計算するとその数字は70㎜を超えることになるではないか。
民族構成も特徴的だ。チェラプンジに居住しているのはカシ族という少数民族である。カシ族はタイ南部からカンボジアに祖先を持つと言われており、全体的に背は低く、顔つきに東南アジアの影響を感じる。更には母系制であり、子供は母親の姓を名乗り末娘が財産を受け継ぐという点も興味深い。また、宗教についてはインドの中にあってキリスト教を信仰している。考えてみれば、ここに限らずアジアの秘境高原地帯の少数民族はキリスト教を信仰している場合が多い。スラウェシ島(インドネシア)のタナトラジャ、ベトナム北部のサパ、台湾の山岳地帯などもそうである。決して偶然の一致とは思えない。
僕は、世界第四位の落差を持つという滝を見に行き、世界一降水量が多いにも関わらず森林が全く繁茂しない不思議な大地を歩いた。そして涼しい高原の風に吹かれながら、もうインドの灼熱に苦しまなくて良いことにほっと一息ついた。
食事からもここが所謂「インド」ではないことがわかる。
インドの中でも最もインドらしいと言える街、コルカタにて僕の旅は終わりを迎えた。時代に取り残されたかのような市電の姿をカメラに収めると、その姿はまるで歴史写真集からそのまま切り抜いてきたようだった。
旅の終盤で僕は風邪をひいた。一日歩くだけの気力と体力は残っていなかった。ただ無心で原色の風景を目に焼き付けた。
1997年より新しい営業許可は出ないという人力車。日本の路上屋台と同じく消滅していく運命にある。
朝が訪れると様々な人が活動を始める。大都市といえば通勤ラッシュ、スーツを来て黒い鞄を持った人の波、制服を着た学生達・・・・という印象を持っている僕たちがインドに来ると、世の中にはこんなに多様な生活があるのだということに驚かされる。
題して「コルカタのごみ溜め」。インドには美しい風景も沢山あるけれど、目を背けたくなる光景もたくさんある。
コルカタ(カルカッタ)ほど絵になる都市も無いだろう。でも暑い。とにかく暑かった。
こうしてインド1ヶ月の旅は終わった。旅をする中で生まれた混乱・当惑・驚愕、そしてその全てを合わせた時に生まれる感動。そんなものに圧倒されているうちに1ヶ月が過ぎていった。そして均質な社会で生きてきた10代の自分に大きな衝撃を残した。
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