休学中の記録

台湾の隔離生活と「救国団」について

妻の出産のため、昨年末に台湾に渡航しました。そして2週間の隔離生活を送りました。

隔離中の滞在先ですが、剣潭にある「救国団青年活動中心」というところを選びました。隔離先でどんな部屋を割り当てられるか指定はできないのですが、運良く見晴らしの良い部屋を割り当ててもらうことができました。

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晴れた日には窓から大屯山の山並みが見えます。そしてMRTの信義淡水線が眼下の高架を通り過ぎていきます。仕事に疲れた時には、そんな風景に日々癒されていました。

さて、この宿泊施設を運営する「救国団」という少し変わった名前の組織についてです。

この組織はもともとは1950年代、反共政策の中で青少年の思想教育を目的として設立された組織でした。当初の名称は「中国青年反共救国団」というものでした。

ところが時代の変遷と共に思想統制的な色彩は弱まっていき、やがて夏季休暇や冬季休暇の野外活動を主な活動内容とするように変遷していきました。

昔の記録を見ると、1960年代には既に合歡山でのスキー活動や、中部横貫公路の完歩イベントなど多彩な活動を展開していたようです。

まだ海外旅行が一般的でなかった時代、救国団の活動は台湾におけるレジャーの先駆けともなりました。このため、今の台湾の中高年の人にとって、学生時代に救国団の活動に参加した思い出は、一種青春を象徴する思い出になっていたりするようにも思います。

...そんな救国団も時代の変遷と共に活動内容を縮小し、冷戦の終結からしばらくして、組織名も「中国青年救国団」になりました。つまり、組織名から「反共」の文字が消えたわけです。

「そんな救国団の歴史を知るのも面白いですよ~」という話を知り合いとしていると、

「でも、今こそ反共救国の名前が必要なんじゃないですかね。2027年までに統一とか、どういう計画で目標掲げているのかわかりませんが、、ほんとやめて欲しいです。」というコメントが返ってきて、それには首肯せざるを得ませんでした。

子どもを授かってから、台湾の置かれた国際情勢をより敏感に感じるようになった気がします。以前なら中国人に「台湾は中国の核心問題」と言われても、「まぁそういう立場もあるよね」とある意味聞き流せたのですが、最近はなかなか聞き過ごすことができなくなってきてしまいました。

以前の自分が少し懐かしいですが、こればかりは私のせいではないですし、仕方ないかな...と思っています。