休学中の記録

台湾の地名の面白さを語ってみる

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地名の由来を調べるのは面白い。

地名には民衆が生活を営む中で自然に形成されたものや、時の国家によって政治的にトップダウンで決められたものなど様々な異なる由来があるし、同じ土地を指す地名が時代によって変遷したり、異なる民族によって異なった形で呼称されることもある。また、文献によってその由来に関する説明が食い違っていることも稀ではない。「地名」はこのように多様かつ複雑で、また世の中にはそれこそ無数の地名が存在していることもあって、なかなか語りつくせないテーマであるものの、だからこそ話題が尽きず、奥深く、面白いのだと思う。

地名が歴史上一定でなかったからこそ、一つの土地の地名の変遷をたどることで、その土地の歴史を語る上での象徴的な出来事に気づくことができるかもしれない。また、北海道や東北地方の地名を通じてアイヌ民族と日本人の歴史を伺い知ることができるように、地名を通してその土地で生きた異なる民族の営みを再発見することができるかもしれない。同じ地名の由来に対する異なる解釈を比較する中で、よりその土地や地域に対する理解が深まることもあるかもしれない。

...さて、前置きが長くなったが、今回の記事のテーマは、地名のこのような特徴を踏まえながら台湾の地図を眺めてみよう、というものだ。

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中部横貫公路(中横公路)が遥か眼下の谷底を通る。この後、背後に立ちはだかる中央山脈主稜線を越えて西部へと抜ける。

私が初めて台湾の地名の面白さに気づいたのは、台湾旅行中に中部横貫公路の地図を見ていた時だと思う。中部横貫公路は台湾の中央山脈を東西に横断する道路で、台湾東部の花蓮から太魯閣峡谷を抜け、山肌を縫うようにして標高を上げて最高点の武陵(標高3,275m)に達し、西部の台中側へと下りていく。世界でも有数のダイナミックな山岳道路だ。そんな道路の途中に「關原」という不思議な地名がある。今では雲海のビュースポットとして有名なこの場所だが、「關原」という地名の由来はどこにあるのだろうか。

...この地名の由来は日本統治時代にまで遡る。当時の地形図を見ると、この場所は「関ヶ原」と呼ばれ、「関ヶ原警官駐在所」が置かれていたことがわかる(下画像左下)。関ヶ原はご存知の通り、徳川家康率いる東軍と、石田光成率いる西軍が戦った岐阜県の古戦場の名前だが、それではなぜ遠く離れた台湾の、それも山奥のこの地が「関ヶ原」と呼ばれるようになったのだろうか。

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台灣百年歷史地圖(http://gissrv4.sinica.edu.tw/gis/twhgis/)で閲覧した大日本帝国陸地測量部作成の地形図。

その答えは日本人と台湾原住民との間の歴史に深く関わりがあり、5年ほど前に下の記事の末尾にも少し記載したが、台湾には「關原」に限らず日本人の命名に由来する地名があちこちに残っている。もしかしたら、台湾を旅行したことがある人であれば板橋、松山、汐止...などの地名を目にして既視感を感じたことがあるのではないだろうか。もっと言えば、京都の人であれば台湾南部の「高雄」という地名に親近感を覚えたりするのではないだろうか。

もう一つ例を挙げてみよう。台湾中部に「廬山温泉」という温泉がある。この温泉は、温泉地から見える山が富士山を彷彿とさせることから日本統治時代に「冨士温泉」と名付けられて開発が始まったが、戦後、山に囲まれた環境が中国の名勝・廬山に似ていることから「蘆山温泉」と改名された。地名が政治と不可分であることを示す好例だろう。

ところでこの地域に赴任した日本人は富士温泉にかぎらず色んな山を富士山に見立てたらしく、近くには「馬海僕富士山」という山名で「富士」の名が今に残っていたりする。「馬海僕」はかつてあった原住民部落の名前の音訳で、「馬海僕富士山」は原住民の言語と日本的要素が混じったハイブリッドな地名だ。

また、台湾に足跡を残したのはもちろん日本人だけではない。台湾は異なる民族が行き交い、異なる外来政権によって統治されてきた歴史を持つ。そのような複雑な歴史を反映し、台湾の地名は、台湾原住民族による呼称に由来するもの、西洋人による呼称に由来するもの、漢民族の呼称に由来するもの、日本人による命名に由来するもの、国民党政府による命名に由来するもの、などが複雑に絡みあって構成されている。

それらは数百年前の開墾の歴史を記録していたり、また時には新しい政権によって塗り替えられたり簡略化されたり、また「本土化」という流れの中で再発掘されて「オリジナルの」地名に戻されたりといったダイナミックな変遷を遂げていることもある。

地名の由来や変遷を辿ることで、それぞれの時代を生きた異なる背景を持つ人たちの物語をたどることができ、またより広く台湾社会全体の変化も追いかけることができる。台湾の地名を調べることにはそんな面白さがある。

今、手元に「以地名認識台灣(地名を通して台湾を知る)」と題した一冊の本がある。

次回から、この本を参考にしつつ「台湾の地名」をテーマに少しずつ記事を書いていきたいと思う。まずは「台湾で西洋人との関わりを持つ地名」を紹介する予定だ。