「とびしま海道」をご存知でしょうか。呉市南東の仁方から、下蒲刈島、上蒲刈島、豊島、大崎下島、平羅島、中ノ島、そして最後に県境を越えて愛媛県の岡村島までが橋でつながっているのですが、これらを飛び石状に訪れるルートは総称して「とびしま海道」と呼ばれています。
尾道から今治を結ぶ「しまなみ海道」は本四連絡路線の一つですし、サイクリングブームの先駆けのような場所でもあるのでとても有名ですが、それに比べると「とびしま海道」は少し地味かもしれませんね。ただ、その分、離島風情をとても味わえる場所でもあります。
とびしま海道には全部で7つの橋があるのですが、私が行った時には眼下の瀬戸は潮流が強く、まるで急流の川のようでした。海にも潮の流れがあって、この流れと共に海上交通路としての瀬戸内海があったことを改めて感じます。
とびしま海道の見どころとして代表的なのは大崎下島・御手洗地区の町並みです。重要伝統建築物群保存地区になっていて、港の常夜灯、雁木や擬洋風建築など、見どころは尽きません。
それから瀬戸内と言えばやはりみかんでしょうか。海沿いの陽当たりの良い斜面にはみかん畑がたくさんあります。私が自転車で訪れた時には、ブランドみかんの産地として有名な大崎下島・豊町の大長を集中的に回りました。大長では港を取り囲むように家屋が密集していて、その後ろにみかん畑が切り開かれていました。
瀬戸内の離島で温州みかんの栽培がはじまったのは明治の中頃からだと聞きますが、その中心となったのはここ大崎下島で、そこから漸次各島に栽培が広がっていったということです。
展望を求めて農道を自転車で上がっていくと、眼下には集落の家屋が密集し、瓦屋根が波打つように連なっていました。
私が訪れたのは2014年の年明けで、みかんの収穫期は既に終了していましたが、はっさくでしょうか、場所を選べば黄金に輝く果実が実っている風景も見ることができました。
集落に戻って、再びゆっくり自転車を引きながら歩きました。あちこちの家屋にみかんの箱が積み上げられていました。
少し話が変わりますが、私の父親は広島出身で、盆や正月は家族全員で広島の実家の祖父母の家に帰省していました。そして広島の実家では、毎年冬になるとみかんを箱買いしていました。私たちが年末年始に帰省すると、夜にごちそうをたくさん食べた後、隣の部屋の段ボール箱からみかんを一つ、二つと持ってきて、テレビを見ながらみかんを剥くのがいつもの習慣でした。
広島の家は昔の家なので、冬になるとリビングルーム以外は極寒でした。そのため、外の部屋に保管されているみかんはいつも天然のクーラーでよく冷えていました。そんなみかんを食べると、冷たい果汁が口の中に充満し、甘みと酸味がとても心地よいんですよね。
それから、お盆に帰省する時はよく「ひろしまみかん」のジュースを飲んでいました。広島の祖父母の家の冷蔵庫には必ず入っていて、いくら飲んでも怒られることはありませんでした。
夏の暑い日に外で思いっきり遊んで、帰ってからキンキンに冷えたひろしまみかんのジュースを飲むのは本当に爽快でした。普段関西の家ではジュースを飲むことがほとんど無かったので、おいしさもひとしおだったんですよね。
そうそう、そういえば祖父は昼からウイスキーをひろしまみかんジュースで割って飲んでいました。小さい頃はみかんジュースに謎の液体が入ったその飲み物が何なのかわからなかったのですが、祖父に聞くと「薬を飲んどるんじゃ」と言っていたので、あぁそういうものなのか、と思っていました。
冗談だったのか、あるいはもしかしたら本気だったのかもしれません。今考えるともったいない飲み方だなぁと思いますが、時々懐かしく思い出します。
さて、話をとびしま海島に戻しますと、とびしま海道終点の岡村島からは大三島、今治までのフェリーが発着しています。ですので、とびしま海道を走り終わった後はしまなみ海道に接続することもできます。
また、途中の大崎下島から船に乗って大崎上島に行くのも良いですね。木江の三階建て木造建築の町並み、神峰山展望台からの多島美などは是非機会を改めて行ってみたいところです。